定年退職後にも「社会化」がある
会社は定年退職する社員をどう送り出すべきだろうか。そんなことを考えていたことがあった。退職する社員を「認定退職者」と見なし、退社後の社会との関わり方、自己実現の準備をさせる期間を置き、退職者が人生の次段階にスムーズにシフトできるよう支援すべきではないのか、と。
そういうのに取り組んでいる会社もあるかもしれない。あるのかな。
■退職半年前
・社内で役職で呼ぶのを禁止。「〇〇さん」と呼ぶ
・要職から外れてもらう
■退職三ヶ月前
・実質的な離職。出社義務はあるが「ただの人」化セミナー受講のため
■退職
・「追い出し」の会。退職者はネクタイ着用禁止。私服での参加とする
・当日は、社員は退職者に進んで話しかけてはならない
・当日は、社員は退職者の功績や貢献を賞賛/感謝してはならない
簡単なイメージとしては、こんな感じだろうか。
送り出す方も慣れないことで大変だが、こういうものが思いやりだろう。
退職は「社会化」の最終段階と考える
個人の一生を考えたとき、就職は「社会化の完成」と誤解されていることが多い。しかし退職後に社会との関わり方が分からなかったり、感覚的には「下野することができない」という感じに近いのかな、「降りて行けない」「過去にしがみついて進めない」という心理状態に苦悩している高齢者は多い。その移行期を最終的な「社会化」段階と考えてみる。退職者が退職後に直面するそうした葛藤との付き合い方/いなし方を会社がフォローしなくていいのだろうか。「あなたはビジネスパーソンの鑑だ」「あなたが居なければならなかった」と送り出したい気持ちは誰にでもあるだろう。みんなの思いだろう。しかし退職者にはすぐ無名な老人としての人生に順応しなければならないのであり、それほど大きな困難と直面して誰もがスムーズに乗り越えられるわけではない。個人によっては致命的な危機となる。
誰でも「素晴らしい人」と評価してもらえない世界に放り出されるのだ。
これはもちろん、日常的に、非常に多く、周囲にイライラと不快感情を撒き散らして生きている高齢者を見かけるから思うことである。もちろんそれは元会社員の離職者に限ったことではなく、身体的自由がきかなくなり、体力も落ちて、軽侮される経験も増え、生活上恐怖心を抱くことも多くなるという「老いの経験」全般でそうなのであるが、少なくとも退職していく社員に対しては、退職後の「移行期」を少しでも穏やかに、楽に、スムーズに迎えられるよう、会社が援助できると思うのだ。
もちろん、会社としても退職後の社員が「俺は〇〇会社の部長だったんだぞ」とスーパーのレジ担当を怒鳴りつけるリスクなど、ない方がよいのは当然すぎることである。
「ただの人」化セミナーって、充分に改称の余地ありだけど。
まだまだ現在の状況だと、それこそ「洗濯物のたたみ方」や「料理の仕方」「夫婦の会話」など、家族の手を煩わせないための講習も必要な世代。生きがいを見つけることや、クライシスの乗り越え方など、必要なことは沢山あるのだと思う。そのような「移行期」を社内で部下たちに見せることも年長者の務めであり、「今あなたはとても会社にとって有益なことをしているんですよと励ましながら」サポートできたらいいですよねえ。
上手に老いて行けるんだ、という希望は本当に大事です。それはきっと、「若見え」みたいなことじゃないんだ。
この記事は、大好きなHAYAさんの「心に余裕のあるひとになりたい」という記事を拝読して、インスピレーションを得て書かせていただきました。
HAYAさんはおれが思う「心に余裕があるひと」そのものな方なので「何言っちゃってんすかこの記事ひとつとっても心に余裕がある人が書く文章じゃないですか」と思うし、「あなたみたいになりたい人は多いのに!(おれもそうだし)」と思ったけど、「上の立場になればなるほど、誰よりも謙虚に。そうありたいと思う」と書き、道を示してくれている方の存在って、本当にいつでもありがたいものだと思います。あちこちで芽吹くんじゃないのかな。思いが、あちこちで育つんじゃないのかなあ。