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「ご感想への返信2023」No.20

今回は新しく学ぶ概念が非常に多く興味深かった。私はインターネットの利用もあり中学生頃から性的少数者について学び、とくにゲイやレズビアンはそれほど少数でもないという印象を持っていたが、実際にカミングアウトを受けたことはなかった。授業の前半、カミングアウトの対応はどうするんが正解なのか考えていたが、最後の先生の回答にもあったように正解などなく、結局それはお互いの受容であるというのがとても腑に落ちた。セクシャルマイノリティであるから特別気を遣うとかそういう話ではないのだと思った。ただ医療現場においては身体の性別が優先されてしまうこと、そして医療者の目がセクシャルマイノリティの患者に不快感を与える恐れがあるというのは必ず心にとめておかなけばならないし、医療者自身が患者が医療を受けることへの抵抗となることはあってはならないことだと思った。

学生の感想から

ちょっと質問です

 皆さんは女性問題で何か発信した時に、男性から「特別気を遣うとかそういう話ではないのだと」結論される経験をするでしょうか。そう言われたらどう感じますか。同じ意味で「特別扱いしなくていいのだ」という言葉もよく聞きます。同じことですね。女性問題でさんざん説明して、男性から「特別扱いしなくてもいいんだと分かりました」という感想を得たら、どう思うんだろうかと、そこをお聞きしたいのです。

それはまるで、特別扱いを求められる可能性があったかのよう

 私は「性的少数者と医療」というテーマで20年近くお話しさせていただいていますが、たった一度も「特別扱い」というワードを使ったことはないのです。それはふたつの意味で明らかです。「個別性のある看護は絶対に特別扱いではない」ということがひとつ。もうひとつは、患者が性的少数者である想定がされていない現状に、「特別なことは何もしなくていい」などと言うはずがないからです。それなのに「性的少数者は特別扱いを求めているのではないと分かりました」という感想が返って来ると、大切な部分で思い違いされた不全感が残りますし、「まるで特別扱いを求められる前提だったみたいじゃないか」と、「変な人扱いされたようにも」感じるんですね。
 必要な看護があります。個別性もあります。それは特別扱いじゃない。

ほかの講師が言うのかな、と悩む

 私は一度も授業でそんなことを言っていないのにどうして待ち構えていたように(まるで待ち構えていたように感じます)「特別扱いしなくていいこと」にされるのか。どうして皆さんはその「正解」を用意して授業に臨むのか。私は一応「そこに目くじらを立てるのはやめよう」と思っていたのですが、どうして私が一言も言っていないことを正解とされるのかはやはり疑問だし、「傾聴できていない」という問題でもあります。私は「個別性のある看護」について話をする講師であって、特別扱いを求めるはずもない。「学生は講師から特別扱いを求められない」、当たり前です。「ほかの講師が言うのかなあ」と悩むこともあります。「特別扱いされたいわけじゃない。ガラス細工じゃないのよ!」と多くの講師が言うなら、「とりあえずそうまとめておくのがよい」と皆さんが考えていても、不思議ではないのですが。
(これ、そういうことなの?)

この授業で求められていること

 私は個別性のある看護を「特別扱い」と考えるような医療者を育てる気は一切ありません。皆さんは「個別性のある看護」を進める上で「これは特別扱いではありません」と他の患者に、あるいは同僚に毅然と言わなければならない場面を経験します。そうした状況下で迷いがあってはならない。これはそういう授業なのです。理解していただけると大変嬉しいです。


カミングアウトをめぐるコミュニケーションの習熟


 カミングアウトを受けるときに、何か言わなきゃと構える気持ちは分かります。差別する気がないことを伝えたい、何とも思わないことを伝えたい、その人サイドだと示したい。でも、よくそれは相手ではなく「こちらの」欲望であり事情なんですね。

 「だから何? 別にいいじゃん」
 「ゲイでもいいと思うよ」
 「気にすんなよ」

 こういう言葉、すごく聞きます。でも、

 「だから何? 別にいいじゃん」→(悪いとか嫌だと言ってないのに)
 「ゲイでもいいと思うよ」→(良いか悪いかなんて聞いてないのに)
 「気にすんなよ」→(してないのに)

 というすれ違いが起きていることがある。「おれゲイなんだけどさ」は前フリで、後に別の話があるかもしれないのに、それで終了されることもあるのです。ハイ、この話は終わり! クヨクヨすんなよ、みたいに。それは本当にすれ違いでしかない。

 だから、本当にショックでも何でもないなら、落ち着いてその後に続くであろう言葉を待ちましょう。皆さんはただ、「誰がそうでもおかしくないし、いつカミングアウトがあってもおかしくない」と分かっていた方がいい。待ち構えている必要はないけど、これからカミングアウトは増える。なぜならそれは「悪いことじゃない」し、「(本当は)隠すことでもない」からです。ただし今は「悪いことじゃないし隠すことでもない」のに、カミングアウトする性的少数者はとても少ない。「最悪じゃん」と考えている人もいるし、「隠れて生きてろようるせえな」と考えている人は今も大勢いるからです。その両面を見ていなければならないのが、現在地ということです。あなたが差別なんてしていなくとも社会には抑圧も差別もあって、あなたの友達はその社会にいる。あなたの友達はあなたにカミングアウトして、その関係のなかでは「差別は終わったこと」かもしれないけれども、その友達は否応なく「社会」に属していて、今はあなたとの関係において安心を見つけた段階に過ぎないのです。安心の発見は「素晴らしいこと」です。(でも)それは「それだけ」です。その友達の生活は尚も/今も分断されている。

だから、S.O.S.かどうかは確認しなければならない

 分かっていると思うけど、人はとりわけ大切な相手にこそ、身近な相手だからこそ、「言えないこと」を抱えます。現状でいえば、そのひとつがセクシュアリティです。そうであればこそ、例えばゲイだと伝えた後に「ゲイだけど楽しく生きている自分」「ゲイだけど明るい自分」「ゲイだけど有能な自分」という見せ方を手放せなくなる人もいる。これは誰にでも分かる心理ですよね。あなた自身も様々な人間関係でそうした微調整をしながら生きています。何か「相手に心配させるかもしれないこと」「世間的にネガティブに捉えられがちなこと」を話した後に、元気/平気な姿を見せようとする。それこそ「ガラス細工じゃないの」と言いたくなる、かもしれない。特に学生同士だったら「ゲイだけど明るい」自分は見せられても、「それで落ち込む経験をしている」話はできないかもしれない。「カミングアウトの結果、悩むことがタブーになる」可能性も考えて、「本当にS.O.S.じゃないのか」確認しなければならない、ということです。

 「別にいいじゃん」「いいと思う」「気にするなよ」……あるいはそういう性急な言葉も、「(ゲイだけど)イケてる自分」を演出するしかない空気を作ってしまうのかもしれませんね。私は皆さんの多くにとってファースト・ゲイである可能性が高いので、これからも頑張ってイケてない自分を演出して行きたいと思います。私はゲイだけど、イケてないのです。

訂正。「正解はある」。

 講義で私が「正解はない」的なことを言ったであろうことは、自分でよく分かります。私は皆さんが「これを言っておけば大丈夫」というワードを与える気がない講師ですから、「正解はない」と言ったことでしょう。誰にでも同じ効果を与える言葉なんて幻想だし、自分で考えたのではないお仕着せの言葉では、借りたところで応用がきかないからです。あなたが本当に困っていた時に、ひとりだった時に、欲しかった言葉はどんなものだったか考えるしかないのです。それがあなたにとっての「正解」です。

 でも今回は「友達同士というケースでの」ポイントを書きます。
 ・「分かった」(ありがとうとまで言う必要はない)
 ・「確認だけど、何か困ってない?」
 ・「これからは全部、気持ちを言い合おう」
 ・「私もそうする。そうしていいってことだよね」
 後は、スマホで見つけたカフェにでも行きましょう。お祝いなんだから。


 医療者が患者を観察するように、患者も医療者を観察しています。
 また書きますが、ノンバーバルな反応に気を付けましょう。特に性的少数者であることのマーカーを探す視線には、性的少数者は敏感です。




 
 




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