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10年間の転勤生活で得たもの

おはようございます。

松風良治です。

今日は5月5日。こどもの日。我が家の子供たちが最後に学校に行ったのは3月初旬。

特に、下の子はこの春、高校1年に上がる年だったので、中学の卒業式も、高校の入学式もまともにできてません。それにも関わらず、健気に文句も言わず、Stay Home。本当に1日も早く、通常の生活に戻れることを祈っております。

さて、今日は10年間の転勤生活で得たものという話。

私は、入社以来、東京で働いていたのですが、入社13年目の2010年に初めての転勤を経験しました。

転勤先は広島です。

この広島転勤。転勤の目的は、広島の自動車会社とのプロジェクトの立て直しでした。

5年間、クライアントと一緒に汗をかき、プロジェクトの立て直しがうまくいき、また幸運にも我々と一緒に開発をした車種が日本カー・オブザイヤーをはじめとする数々の賞を受賞するなど、空前の大ヒットを果たし、このクライアントは経営危機を脱出されました。

この5年間の広島での活動が評価され、その後、私は広島から豊田に転勤し、ここでも5年間頑張ってきました。

都合10年間の地方生活。いろいろなことがありました。

広島転勤時には、家族も帯同して転勤したため、仕事もさることながら、奥さんや子供たちが広島の生活に馴染めるか、そのことが一番の心配事でした。

そんな心配もどこ吹く風。 子供たちは地元の小学校でいっぱいお友達を作り、広島弁をしゃべっているではありませんか。
女の子にも関わらず、「~じゃけぇ」という広島弁を軽々と使いこなしている娘を見て、私は少々頭を抱えながらも、なんとも心強いものだと思ったものです。

子供は本当に順応性が高いです。

その後、2015年に広島でのプロジェクトに区切りがつき、再度 転勤となったのですが、そのときは家族は自宅のある神奈川に戻ったものの、私の職場は愛知県。
さすがに次は、家族の帯同は無理だと思い、単身赴任をすることにしました。

「単身赴任は気軽でいいね。」なんていうことを言われることもありますが、やはり家族と離れて生活するのは、いろいろな意味で負担は大きいものです。

神奈川と愛知での二重生活には金銭的な負担がかかります。

さらに、子供の教育や親の介護など、家族の問題が起きた場合には、その負担は私ばかりか奥さんにも大きな負担としてのしかかります。

昨年、娘が起立性調整障害の病気にかかり、半年間学校に行けなくなったときには、ほんとうにきつかったです。

やはり、家族は一緒に暮らさないといけません。

そんな訳で、この10年間に2度に渡る転勤を経験したのですが、大変だった分、得たものも大きかったと思います。

まず、一番大きかったのは、私も含めて家族全員が広島に暮らしたことで、一回りも二回りも成長できたことです。

神奈川にいたのであれば、活動範囲は神奈川周辺しかありません。しかし、広島で生活することで、その活動範囲や人脈は大きく広がります。
私が広島転勤時代に、出かけた先は大阪、兵庫、岡山、広島、山口、島根、香川、愛媛、高知、徳島。
中国地方、四国や関西を中心に多くの世界遺産や史跡、名勝地を奥さんと子供を連れて出かけました。

特に想い出深いのは、島根県にある出雲大社と足立美術館。日本の歴史や文化は島根を起点にしているということがよくわかりました。

こうした経験は、広島転勤が無ければ、経験することは無かったと思います。

あと得たものは、家族との絆でしょうか。この1年、娘の病気の件で本当に大変だったのですが、今となってはこの大変な状況を乗り越えて行く過程で家族との絆が今まで以上に強くなったと感じています。

転勤は大変な分、人として大きく成長するそんな機会になるんだと思いました。

今日は、10年間の転勤生活で得たものというお話でした。

今日も最後までブログを読んでいただき、ありがとうございます。
今日もあなたにとって素晴らしい1日となりますように。

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