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分散登校、始まるよ!

休校になってから3カ月が過ぎました。4月6日の登校日を除けば、実に95日ぶりに!登校が再開します。

みんなに会えるワクワクがある一方、少しばかり、モヤモヤしている人もいるんじゃないでしょうか?

学校は、すぐに元には戻れない

例年であれば、多くの部活が「引退」の瞬間を迎え、学年全体が受験勉強に気持ちが切り替わっていく季節です。

例年であれば、体育祭で後輩たちの雄姿を見届け、「今度は自分たちの番だ!」と決意する季節です。

でも、現実は、オンライン授業も"Stay Home"もだいぶ日常になってきて、むしろ登校することが非日常かもしれません。

休校が解除されても、君たちの安全確保を最優先するために、元通りの生活に戻るには、まだまだ時間がかかります。授業だって、当面の間は今まで通りには出来ません。

神奈川県立高校の例を出せば、通常登校に戻るのは、9月になるという見通しです。これだって、どうなるかは分かりません。

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【参考】神奈川県立高校・中等教育学校の登校方法パターン


正直なところ、休校解除の是非は、社会全体でも大いに議論されている話です。ただ、自民党内で「9月入学への移行は性急に決めるべきではなく、いま必要なことは学びを止めないこと」と大筋合意したこともあり、世の中全般的に学校は再開に向けて動きます。

この休校期間中に、君たちからも、未来の教育オンライン授業の在り方について、いくつかメッセージを預かりました。正直、心からスゴいと思ったし、熱いメッセージをもらえたのは、とても嬉しかった。

不平不満を垂れるだけじゃなく、自律的に考えた上で、行動に移す生徒がいることは、本当に誇りです。自由に議論していける雰囲気・姿勢こそが民主主義の礎だし、それを君たちは学校の「文化」として築いてくれました。


わざわざ学校に行く意義って・・・?

でも、もしかしたら、気付いてしまった人もいるかもしれません。勉強は塾でもできるし、友達とはインスタでつながってる。

あれ?わざわざ学校に行く意義って、何だっけ・・・?

特に、高校生である君たちは、法律上では学校に行かなくたって良い。「いや、そうは言っても、そりゃ行くもんでしょ・・・」と思考停止せず、もう少しだけ考えてみたいと思います。

これは、君たちだけでなく、私たち教師にも突き付けられた、歴史を揺るがす、大きな大きな課題なのです。

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学校の意義を考える前に、ハッキリしたことがあります。それは、学びの方法が多様化して、「学びの場=教室だけ」という時代は終わったということ。Youtubeもオモロいし、トライさんの授業も分かりやすい。無料で受けられるオンライン講座もある。でも、やっぱ知ってる先生たちのオンライン授業も良いじゃん!みたいな。ICTが発達した結果、いつ、どこだって、学ぶことができる。これは、君たちも実感しているはず。

学校は再開します。でも、元には戻らない。だから、教えてもらうことを期待する前に、まずは自分で学ぼうとすること、学びのチャンネルを多様化させておくことが大切だと思います。いつ、第二波・第三波が来るかは、誰にも分からないのですから。


もう一つは、オンライン化のメリットもあった一方、逆にリアルじゃないと難しいこと、会えることの有り難みも感じたということ。少なくとも私は、「当たり前」は失って初めて有り難みを感じられるものなんだなぁと、恥ずかしながら改めて気付かされました。

よく、「受験は団体戦だ」という言葉を耳にしますよね。支え合って、みんなで頑張っていこうと。一方、「最後は一人でしょ」という人もいると思うんです。実際、受験期は自分で勉強する時間の方が圧倒的に長い。

「受験は、個人戦か団体戦か?」

これは、問い方が悪いですね(*_*) そもそも、「受験は、個人戦か団体戦か?」といった二者択一的な問い方はフェイクだし、個人戦も団体戦も、どのように解釈したかに過ぎません。

多様性を大切にした学校だからこそ、すべての白と黒の間には無限のグラデーションがあることを、いつも忘れないで欲しい。

学びの基本は「自学」「協学」です。学校とは、自分のハンドルを自分で握りつつも、他者といかに生きていくかを学ぶ場所。何度も伝えたことですが、自立は孤立とは違う。自立とは、「依存から共存への移行」なのです。

フランスの哲学者、エマニュエル・レヴィナスは次の言葉を残しています。

他者とは、自己完結から救ってくれる唯一の存在である。

無自覚に合理主義・正解主義に陥ってはいけない。それは、人生の彩を奪うことになりかねないと思うのです。


我らが母校

放映中のNHK連続テレビ小説『エール』で、我らが母校の応援歌「紺碧の空」が取り上げられていました。

気持ち悪いと思う人がいるかもしれませんが、我らが母校の近くにあるカラオケでは、学校名を連呼する校歌や応援歌が、選曲履歴にめっちゃ入っています(笑)駅前でも歌うし、どこでも歌います(笑)

「校歌」はアイデンティティの象徴でもあります。私は、母校の校歌にある

「集り散じて 人は変れど 仰ぐは同じき 理想の光」

というフレーズが好きです。まさに「学校」という空間にふさわしい歌詞だなぁと思うのです。君たちとも「集まれなくても」「巣立った後も」同じ理想の光を仰ぎ続けたいと願っています。

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思い出して下さい。

5年前、入学式で、緊張交じりに歌った覚えたての校歌を。

1年前、肩を組んで、実質、最後の体育祭で歌った校歌を。

そして、想像して下さい。

来るべき数か月後の未来、卒業のときを迎え、みんなで歌う最後の校歌を。


帰る場所があるから、思い切って旅に出ることができる。

君たちにとって、学校は、そういう場所でありたい。


これから、まだまだ困難は待ち受けています。

でも、とりあえず言わせて下さい。


「おかえりなさい!!」

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