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教職を愛してるからこそ、僕は育児休暇を取る。

非常勤講師時代を含めて、学校に勤めて丸10年。一日たりとも「ダルい」と思ったことはなく、何なら毎日楽しみで楽しみで笑、しょうがなかった。

10年も教壇に立っていれば、それなりの数の教え子たちが巣立っていって、かけがえのない財産だと改めて実感する。客観的に見ても、きっと僕にとって教師は天職なんだと思う。

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そんな僕は、第二子誕生に合わせて2021年度の1年間、育児休暇を取る。それはあくまで、教職を愛している「からこそ」の決断である。

仕事大好き、ある意味で最も育休に遠い(と思われていた)僕が、育休を決断した理由を書き綴りたい。



①教師であり、父になった。

授業、学級、部活動、校務分掌…教師の仕事は多岐にわたる。さながらトライアスロン。笑

20代は与えられた仕事は全て全力で取り組む!と心に決めて向き合ってきた。なんなら「教師たるもの、全部をやり切って一流やろ!」と思ってきた。

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ところが、30歳という節目に第一子が生まれ、ライフステージが変わったことで、「24時間働けますか?」が唯一の正解ではないことに気付いてしまった。ちょうど、6年間受け持ってきた生徒たちを送り出したタイミングというのも、人生の転機となった。

決定打となったのは、教え子に何気なく言われた次の言葉だった。

「先生にはとても感謝してるけど、私は先生みたいにはなれない。」
「先生、土日も働いてたら、お子さんグレますよ?笑」

常々、教師は「生き方」で魅せる仕事だと思ってきただけに、ショックだった。未来を創る仕事に就きたくないなんて、そんなことがあって良いハズがない。

さらに、僕たち夫婦は、両親が近くに住んでいないという状況で、気軽に頼れない状況でもあった。先生の代わりはいても、父親の代わりになる人は、この世に一人もいない。

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育児休暇を終える1年後、現状の教師の働き方は急激には変わらないだろう。再び休日も「学校教育」に時間を注ぐことになるかもしれない。そして、きっと僕はライフワークとして、誇りをもって取り組むだろう。

それでも、少なくとも育児休暇の一年間は、家族とたっぷり時間を共にしたと胸を張って言える。

そして、オチビ2人のため、夫婦揃って育児休暇を取ることを決めた。

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②「この程度」では、生徒と対峙できない。

教師という仕事は、ある意味で特殊な面がある。

それは、1年目だろうが、30年目だろうが、生徒からは同じように「先生」と呼ばれ、同じように授業をして、同じように学級経営を行うという点である。

言い換えれば、生徒は変われど、数年経験すればルーティンワークを回すだけでも、良くも悪くもある程度は何とかなってしまう、ということでもある。

ただ、個人的には生徒たちに「挑戦しよう!」と伝えている手前、その姿勢は崩したくはないし、「それなり」に「こなす」ことをクセにしたくなかった。それは、生徒たちのためであると同時に、自分自身の美学でもあった。

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一方、「父」になってからは、自分中心に時間をマネジメントすることは難しくなった。現実問題、第1子が生まれてからは、部活動が終わる18時に速攻で学校を後にして、19時には帰宅してオチビと一緒にお風呂に入って、ご飯食べて、21時に寝て、3時に起きて授業準備やら何やら・・・というお爺さんのような生活(笑)を送っていた。

さーて、子どもが2人になってどうしようか。正直なところ、物理的な理由で授業なり部活なり学級経営なり、妥協せざるを得なくなりそうだ・・・直感的に、そう思ってしまった。そして、自分ではそれを許すことはできなかった。

「時間」が問題なのではないかもしれない。でも、少なくとも今の僕には、それ以外で「妥協感」を打破する方法を見つけることができなかった。


③教師として「心からの」チャレンジをしてきたか?

新型コロナウイルスも、育児休暇を決心する一つのキッカケとなった。

この1年間、臨時休校や休日の活動禁止によって、かつてないほどの「余白」を経験し、今まで逢えなかった人たちとオンラインで出逢い、読めなかった積読を読み、挑戦できなかった様々なプロジェクトに参画した。

下記の本によると、ひらめきは「余白+異分子」によって生まれるということらしい。「ひらめき」かどうかは分からないが、コロナ禍の中で、自分自身の地平が拓けたことは間違いない。

そして、この余白によって得た知見は、確実に生徒たちに還元できているという自負があった。

一方、8年間、毎日同じ景色を見て来た自分は、竜宮城にいるような気がしてならなかった。異動のない私立学校で、この先30年以上、同じ景色を見続ける自信は微塵もなかった。

孔子の論語にある「三十にして立つ(30歳にして自立する)」という言葉の通り、それなりに出来ることも増えてきて、今後の身の振り方を考え始める30歳前後に、1年間の余白を作って、家族やキャリアと向き合う時間を頂けることは、本当に有り難いことだと思う。

毎度お馴染みフィジー在住の旅幸家・永崎裕麻さんに教えて頂いた「40歳定年」という概念にインスパイアされ、育児休暇という方法で「セルフ32歳定年」を迎えることにした。

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意図的に生み出した「余白」をどうデザインしようか。とてもワクワクしている。といっても、1年間は短い。新たなチャレンジを、どんどん仕掛けていきたい。


④教師は、めちゃめちゃ育休が取りやすい。

最近の教師にまつわるニュースと言えば、わいせつ事件かブラックな働き方ばかりで、文科省が良かれと思って始めた「#教師のバトン」プロジェクトすらも、大炎上する始末・・・。

だからこそ声を大にして言いたい。教師は、めちゃめちゃ育休が取りやすい!と。

教師は、みんながみんな「昇進」を目指しているような職業でもないため、1年間休んだとしても、キャリアに傷がつくなんてことは、ほとんどない。

また、基本的に学校は「1年単位」で動いているため、1年間という長期で育休が取りやすいのも大きなメリットと言える。小泉進次郎環境相も育休取ってたけど、わずか2週間だった。

最近は育休を推進する一般企業も増えてきているが、2019年度の育休取得率は女性が83%なのに対し、男性は増加傾向も7.48%に留まっている。これは、世界的に見ても相当低い数値となっている。

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育休中は国から育児休業給付金が支給されるほか、この給付金は非課税、社会保険料免除ということもあり、手取りベースで8割程度の収入は確保できる。時間を買ったと思うと、あまりに安すぎる投資だと、個人的には思っている。

そもそも、日本の育休制度は実は世界有数で北欧にも引けを取らない。夫婦で「パパママ育休プラス」という制度を使えば、夫婦で最大14カ月も育休が取れる。

職場の方々も、とても好意的に決断を受け止めてくれた。もっとも、僕の前に男性教員で2名育児休暇を取っていて、そういう意味でも働きやすい職場だと思う。心から感謝している。


⑤自分が選んだ道は、自分で正解にするだけ。

「育休バンザイ!」みたいな論調で書き綴ってきたが、1つだけ、とても後ろ髪を引かれていることがある。部活動の生徒たちのことだ。

まもなく引退試合を迎える高3生。新チームを築いていく高1・2生。同じ気持ちで伴走してきたからこそ、本当に、申し訳ない気持ちでいっぱい。部活動の生徒たち一人ひとりの顔を思い浮かべると、何度も育休を申請するかどうか迷い、校長室の前を行ったり来たりした。今でも、毎晩のように夢に見る。

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それでも最後は、自分自身に問うた。これは「自分の疑問符に蓋をしない」という挑戦。正解はないからこそ、自分が選んだ道を正解にできるよう、日々、真摯に生きていこうと。僕に出来ることは、ただそれだけ。

育児休暇を取るくらい、大したことではないのかもしれない(そういう世の中になるべきだとも思う)。それでも僕は、教師という職業を心から愛しているからこそ、職業としての教師の魅力を高めるために、育児休暇を取る。

そして父として、教師としてアップデートできるよう、大切に命を燃やしたい。

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