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1から学ぶ写真の歴史#2

前回は壁に映し出された像を元に絵画を描くために使われていたカメラ・オブスクラについてでしたが、今回は映し出された像を定着させて記録する技術が発見され普及した時期のお話です。

フェルメールも使っていた?カメラ・オブスクラ

前回カメラ・オブスクラが絵画の表現方法に影響を与えていたことがわかりましたが、かの有名な画家フェルメールも使用していたと言われていることが分かりました。「デルフトの眺望」(1661年)という作品ではカメラ・オブスクラをのぞいた時に光が強く当たっている部分にみられる光芒が描かれているそうです。

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「デルフトの眺望」(1661年)

また、「牛乳を注ぐ女」(1675年頃)ではこの光芒の様にハイライトの表現に、白や明るい色の点を点描するポワンティエ技法が用いられています。
カメラ・オブスクラを使っていたかは不明ですが、少なくとも表現方法への影響を与えているのは間違い無いでしょう。

牛乳を注ぐ女

「牛乳を注ぐ女」(1675年頃)

映し出された像の定着

カメラ・オブスクラはあくまでも像を映し出すことしかできないので、像そのものを紙などの物質に定着させることはできなかったので、絵を書いて記録する必要がありました。ここで注目された技術が1798年にドイツのアロイス・ゼネフェルダーによって開発された石版印刷(リトグラフ)です。石灰石や金属板の上に油分を含んだ材料で絵を描いて、その上に弱酸性溶液を塗布することで化学反応を起こして、水と油の反発作用を利用して専用のプレス機によってする版画で、彫版の様に高い技術が必要なく、再現性が高いので商業出版物の画像印刷手段として普及しました。

リトグラフ_small

リトグラフで刷られた絵

この技術に関心を持ったのがフランス人発明家のニエプスです。彼は1827年に自宅の窓からの見える風景をカメラ・オブスクラが結ぶ自宅の窓からの見える風景を、8時間という長い露光時間をかけて金属板への定着を成功させました。彼は実用レベルにしようと実験を繰り返しますが、思わしい進展を出来ぬままなくなってしまいした。

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「ル・グラの自宅窓からの眺め」(1827年)

実用レベルに達したダゲレオタイプ

その後、ニエプスと1829年に共同研究者として契約を交わしたフランス人画家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって改良が重ねられて1835年に「潜像」という技術が発見されます。これは露光によって形成された見えない像=「潜像」を科学処理によって「現像」する技術です。この技術によって露光時間が30分程度(最終的には数十秒)まで大幅に短縮できる様になりました。
また、現像済みのプレートを食塩の水溶液に浸すことで光に当ててもそれ以上化学反応が起こらない処理を考察して銀板写真術=ダゲレオタイプの技法を完成させました。ダゲレオタイプのISO感度は0.002~0.01程度ととんでもない低感度だったそうです。デジタルカメラの常用感度で一番低いのが100なのでこの数値はちょと想像出来ないです。
ダゲレオタイプのもう一つの特徴が分子単位で像を構成しているので、写真史上最高の解像度を持っていることです。東京写真美術館で開かれている「日本初期写真史 関東編」でダゲレオタイプで撮影された作品が展示されていて実物を見てきましたが、100年以上前のものとは思えないほど鮮明さと生々しさに驚きました。

ダゲレオタイプ

ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールのポートレート

露光時間が長かったため、撮られる人は長時間じっとしている必要があり後ろから首や体を固定する器具が使われていたそうです。
また、死者の姿を撮影してコンパクトに収めることでその姿を永遠に留められる様になったので、当時まだまだ死亡率の高かった子供の写真や、生前の姿を描いた絵と一緒に撮られた写真=遺影も残されています。
愛する人を常に側においておきたいという願望を写真によって叶えられる様になったのです。最近遺影撮影に興味があるのですが、映る側=死にゆく人とそれを見る側=残されて生きていく側の思いを汲んで撮影することが求められるのではないでしょうか?

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Mother with Dead Child(The Nelson-Atkins Museum)

紙に定着させるカロタイプの誕生

ダゲレオタイプは1回の撮影で得られる画像は1点のみで複製が出来ないことが欠点でした。(逆に言うと希少性があるのでアメリカでは根強い人気がありました。)1835年にイギリス人のウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットがカメラに感光紙をセットして撮影、現像して陰画(ネガ)を作り、食塩水と硝酸銀の溶液に交互に浸して感光性を与えたものを別の感光紙(印画紙)に密着させ焼き付けることで白黒を反転させたプリントを何枚でも複製できる世界初のネガ・ポジ法=カロタイプを発明しました。ダゲレオタイプよりも露光時間が短く(30秒程度)、複製できるメリットがある一方で画質が粗く、褪色しやすいというデメリットもありました。

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カロタイプの撮影に使用されていたカメラ

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Wrack(1839年) ネガの状態

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The Open Door(1844年)

この後の写真の歴史はカロタイプを基本型として発展、展開していくことになります。
次回はこの時期の社会の状況や、絵画との関係などを掘り下げて調べてみようと思いますので、お楽しみに。


参考文献,webサイト
美術出版社 監修:飯沢耕太郎 [カラー版]世界写真史
森話社 打林俊 「写真の物語 イメージ・メイキングの400年史」
Smithonian Institute
The National Science and Media Museum, Bradford
The Metropolitan Museum of Art



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