私は猫になりたい
猫になりたい。誰もがそんなことを一度は思ったことがあるだろう。なぜ人は猫になりたいのか。
猫は自由だ。いつ寝てもいい、いつ飯を食ってもいい。人間だってそうだ。極論だが、いつ寝ようがいつ腹を満たそうが自由なのだ。
自由とはなんだ。
自らの命の全てに自ら責任を持ち、その上で行動できることだ。
人間だってそうだろう?と思う人もいるだろう。
果たして本当にそうか?ここで一つ自身に問いかけて欲しい。自分の命に関して全ての責任を持っている人間が幾らいようか。
死を受け入れざるをえない時、君は本当に100%自分の責任だと言えるか?
人によっては社会のせいだとか、運が悪いとか、クソみたいな言い訳を並べ、自身が死ぬことに関して何かに責任を押し付けるんじゃないか?それは本当に自由だとは言わない。本物の自由が欲しければ全てにおいて自分に責任があると言い切れないといけない。逃げは許されない。そんな強い人間がいるはずがない。
人間は無意識に自ら自由を手放すことでしか生きることができないのだ。何かに縛られなくては重圧に耐えかね内側から崩れていく。
なぜか。
発達しすぎた知能が原因だ。脳を発達させることで「集」として進化してきた。その弊害か「個」としては生きることができなくなってしまったのだ。
猫はどうか。
もし彼らが死ぬ時何を思うか。
餌を獲れなかった無能な自分が悪いと思うだろう。
全ての結果に対し、自らの責任であると受け入れる。
そんな猫が私たちは羨ましいのだ。
「個」として強く生きている彼らが。
一人一人に「個」があるのに「集」でしか生きられない私たちは。
私も猫のように生きたいものだなぁ、と新幹線の車窓から街を眺め、社会を眺め、自分自身を眺めるのだ。
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