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復帰廿八日目。憧れのゲームプレイ

連日暑く、そして満員電車。
もうやめて! 僕のライフはゼロよ……っ!

さて。
世は知らぬ間にテレワーク・デイズとかいうものの只中のようでございます。こちらにも、ちらと書いた。

「今日火曜日と今週のうち、もう一日、在宅勤務を推奨します。」
そんなメールが人事から出たのを真に受けて、よーし、じゃあパパ在宅しちゃうゾー!(あの通勤ラッシュを、そうか、避けられるじゃないか!)
メンバーやらリーダーに在宅勤務いけますよね? あざす! いけますよね、ヤッター! とかやっていたところ、そのやりとりを見ていた課長が人事に確認してくれた。

「復職後、勤務制限のある社員には適用不可です。」
どう見ても禁止です。ほんとうにありがとうございました。

いやー、浮き足だってバカみたいじゃないか。

* * *

浮き足だつと言えば。
原始人 TRPG Og というのを再び目にしてたまらなくなってしまった。

ちょろちょろ調べてみたけれど、まだ邦訳はされていないみたいで、だから先のまとめに出ているキャラクターシートはお手製ってことだ。

ルールは Firefly Games というサイトで販売されている。
Og Unearthed Edition。 PDF、 7.95 ドル。

ペイパル払い可能ってことで、買ってしまいました。勢いに任せて。

で、 unearthed って、どういう意味ですかね? アースされていない? 接地していない? 地に足がついていない? 浮き足だった?

まだ10数ページしか読んでいないのだけれど、これはルールを読んで大笑いしながら楽しむやつだね。スキルとか、かなり練りこまれているようにも感じるけれど、それをどう組み合わせてサバイバルしたものかなんて真剣に考えちゃダメなやつ。

* * *

おもえばゲームブックでテーブルトーク RPG の雰囲気を嗅がされどハマりし(ネバーランドのリンゴ、ドルアーガの塔三部作とか。東京創元社にはどれだけお世話になったことか)、一人で遊ぶのが寂しくてテーブルトーク RPG に憧れるものの周りには理解してくれる遊び友達もおらず。

そこにコンピューター RPG としてドラクエが出てきて、ウィザードリィ、ファイナルファンタジーにヘラクレスの栄光やらディープダンジョン、桃太郎伝説に天外魔境。(う。なんかバカみたいに遊び倒しているな)

それでもやはり CRPG は想定内の、プログラムされた応答しかないのが寂しくて。

そういえば当時、まだ小さな会社だったスクウェアが DOG というアライアンスを組んで出すよ! と広告を打っていたキングスナイトは(最終的に出たものは全く違ったものだった)探索型の RPG に見えたし、結局でなかった横スクロールの…… 名前はすっかり失念してしまったけれど、アーサー王伝説を下敷きにしていたんじゃなかったか、パーティのメンバーが AI で考えて一緒に冒険してくれるというゲームは、最高に胸がドキドキしたものだった。
その後、高校生の頃かな? アートディンクがパソコンゲームとして発売した「ルナティック・ドーン」。まだハードディスクが異様に高価だった当時、20MB(!)ものスペースをインストールで占有するゲーム。これがまた、パッケージに描かれた「僕の遊びたかったゲームだ!」ってのと実際のゲームのギャップがひどい奴で……。

なんの話だっけ?

そう、テーブルトークで「ごっこ遊び」を真面目にやってくれる友達は僕にはいなかったものだから、それを疑似的にでも体験させてくれそうなコンピューターゲームにはすごく憧れていて、そして裏切られ続けてきたんだよねぇ……。(「ティル・ナ・ノーグ」のマップやキャラクターの自動生成はなかなか素敵だった。けれど、やっぱり、生身感がないのよね)

ここらと軌を一にして、コンプティークというパソコン雑誌にはロードス島戦記のリプレイだとかが載っているの。憧れの! ファンタジー世界で! サイコロをガラガラ振りながら機知に富んだ(と、当時はおもっていた)会話で映画さながらの活躍を即興で組み立てながら楽しむゲーム!

いやあ。ほんと、手に入らないだけに妄想は膨らんだものだった。

* * *

で、 Og。

はちゃめちゃに楽しそうなんだよねえ。

RPG というのは、いかに「その世界」のキャラクターに「なりきって」遊ぶかがポイントだとおもっている。そして「ごっこ遊び」にはある種の照れがつきまとうし、よく知っている人と知らない人のギャップによるシラけだとか、いろいろなハードルがあるとおもう。

その点この Og は、すぐれたデザインになっているとおもうんだ。

強烈なシチュエーションに、ともすると腕力と運だけを頼りに「限られた単語」で、コミュニケーションする。
プレイヤー全員が、こうしたい! こう伝えたい! という現代の知恵を持って共有しているのに、演じるキャラクターはあまりにガサツで使える単語も少ない。
そこにプレイヤーの知恵をぶっ込んで、限られた単語だけで無理やりにコミュニケーションを成立させる。現代の知恵があるはずなのに、いつの間にか腕力だけで無理筋を通すというパワープレイに陥らざるを得ない。
そしてそこに、その場その瞬間だけに成立する空気で生まれる、「わかる!」「それな!」という連帯。

ああ、遊んでみたいなあ。

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