ウラジミール・ソローキン『青い脂』

8月7日火曜日、晴れのち雨(復帰丗八日目)

小説というのは、こういう本を指してある言葉だとおもう。

いきなりぶっ飛んだ言葉の羅列でぶん殴られる。文法は(日本語に訳されていて日本語に沿っているので)わかるだけれど、知らない、わからない単語で埋め尽くされた無数の手紙から始まる。

大した説明もなく宙ぶらりんにされたまま、それでもおして読み進めると、だんだん世界観とリズムが転写されてくる。ねえ、リプス=你媽的。
どうやらそこは未来のロシアらしく、そこでロシア文学者のクローンたちを使って何やら怪しげな実験をしようとしている、らしい。なかなか条件が揃わず始められないという状況を、釣れない恋人に送る手紙という形をとってぐいぐいと押し込んでくる。

ロシア文学、いや、文学に限らずロシアは僕にとって遠い国。
だからグロテスクに劣化コピーされたテキストの可笑しさは、不気味さという形でしか伝わってこない(残念!)。けれど、なんというのだろう?
その壊れた文体に、なにかロシア的な妄執というか情念を感じる。
(年が明けてから『宇宙兄弟』をじわじわ読み進めて既刊本をようやく全て読みあげたのだけれど、ヒビチョフこと日々人がロシアにお世話になる姿が描かれるようになっていて、そう、なんとなく近い国になってきた気もしている)

物語の核心となる「青脂」が出てくるあたりで一方通行の手紙は消え、枝分かれした奇妙な未来が立ち現れる。あの泳ぎの場面の異様さは、これまたロシアのイメージを強烈に印象づける。国家に対する忠誠と一糸乱れぬ行動。

そして再び場面転換。ナンセンスとIFで固められた過去。

「ヤサウゥゥフ・パショォォォ!」
地下監獄にいた二人の警備兵が大理石の板にたった今死んだばかりの若者の切断された胴体を載せて運んできた。胴体は血の湯気を立てていた。ナイフと二枚刃のフォークを持ったコックがその上に屈みこみ、問いかける目で伯爵を見た。
「フィレを。腎臓の辺りので頼む」フルシチョフは命じた。
コックは胴体から細長い肉片を二切れ切り取りにかかった。
「もうそんな……おじちゃん……いやだ……やさしくして! やさしくして!」スターリンは呟いた。
「かわいいブリキの兵隊さん……」フルシチョフは彼の耳に囁いた。
「どうして……苦しいよ……おおお……どうして人はこんなことするの……」スターリンは唇を噛んだ。
「忘れるため……みんな忘れるためだよ……坊や……」
伯爵の陰茎がまるごとスターリンの肛門に入った。

もうね。なんというかね。往時の筒井康隆のあれこれを煎じ詰めて濃縮還元したらこうなるんじゃないか、みたいなエロ・グロ・ナンセンス。クライマックスはもっと酷い。

いや、そういうエロ・グロはさておき。
見たことのない読んだことのない世界を、さしたる説明もないまま読者の前にばさっと束に積み上げ、読者はそれを取り上げて読み、読んでいるうちにいつの間にか同期が合うという物語の凄さ。

たぶんこれは外国語で(もちろん外国語で書かれた物語なんだけれど、そういう意味でなくて。うまく言えなくてもどかしい)、違う言語なんだけれど、その世界の中に身を浸していればいつの間にかコンテキストが共有されて通じるようになる、そういう意味での外国語なんだとおもう。

こういう外国語感覚は、例えば神林長平の作品群が近い(火星三部作あたりは強烈)。ある種異様な言語感覚で紡がれる世界。違った法則に従っていて、そのほころびが見えない丸ごとの世界。そこへの窓が開いているような感覚。
筒井康隆なら『夢の木坂分岐点』や『虚構船団』だとか。ああ、『パプリカ』もすごかった。

もともとが敬愛する作家の佐藤亜紀が「皆川博子が『青脂』を褒めていた。さすがわかっている」(皆川博子、だったとおもう)のようなツイートをしていたのを目にして気になって手にとったのだけれど、うん、なかなかな読書体験ができました。

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