みんなに嫌われてなんか、いない

僕はよく落ち込む。

「あ、これは言い過ぎたな」
そんな後悔を数えきれないほどしてきた。

対面でやらかすこともあれば、ネットでの絡みで返信がなくなって気づくこともある。そして落ち込む。
「ああ。ほんとうにバカだな。ウザくて誰からも嫌われる」

誰からも、みんなから、嫌われる。嫌われている。

嫌われている。そう考えることは辛い。
辛いのは本当。だけれど、ちょっぴり悲劇性にひたってもいる。

でも、たとえばの話。
誰かと話をしていて腹を立てられたとして。
彼/女に腹を立てられたことは事実だとして、いきなり嫌わたりはしない。ましてや一人の立腹をきっかけに、世の中すべての人がドミノ倒しのように自分を嫌うなんてことは、ありえない。

辛いことがあったとき、その状況の「単純化」は有効な分析の手段だろう。ただ、そのときに自分とそれ以外の他者だとか、オール・オア・ナッシングのような乱暴な単純化はまずい。
問題は「小さく」「分けて」考える。
あるいは複雑な問題を複雑なまま、あえてそのまま放置して時間に任せることが効果的な解決を導いたりもする。

話しかけた相手が返事をくれなかったり、それどころかあからさまに怒っていたりすることは、ある。
そんなとき、僕はたいてい、話しかけた自分が何かしでかしたに違いないと確信して落ち込む。なんとか解決しようと空回りすることさえある。

でも、これもまたおかしな話。

もちろん自分が悪いこともあるだろうけれど、たまたま相手の虫の居所が悪かったり、強烈に自然に呼ばれただけかもしれない。
すべて僕が悪かったというのは甚だしい思い上がりだ。そして悪いことに、そこからは建設的な解決策が、出ない。

誰かに嫌われたとしても、嫌ったのはその誰かさん一人。
世界に絶望しないようにしたい。

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