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「ふつうなら」と括ってほしくない

また、やってしまった。

夕飯時に今日の診察で言われたことを(とても傷ついていたから)話そうとした。

やっぱり僕は、どうしても「発達障害」という括りで僕を見てほしくないみたいだ。だから、そう言われたことに傷ついている。でも一般に、言った側は無邪気で覚えてもいない。(けれど仮にも心療内科の院長なのだから、もっと慎重を期して言葉を使ってほしい)

もとい。

発達障害って三度の診察で繰り返して言ってきて、
それなのに覚えていない。
これって、あまりに軽くない? ひどいよね?
そんな話をして、
「そうだね〜、ひどいね〜」という共感が欲しかったんだ。僕は。

でも、妻の返しは「なんでそう言われたの?」だった。

そして、これは。
いや、これも。
今日の診察で一番傷ついた問答に触れることだったので、正直言いたくなかった。が、答えた。

そして妻から「それおかしいよね? ふつうに考えて」が出た。

ふつうに考えて」!

僕は、これが、我慢ならない。
(いや。
 きっと、僕の中に埋められた数えきれないほどの地雷のうちの、
 わずかひとつ)

あなたたちの考える「ふつう」は、あなたたちの特別にすぎない。
僕にはそれは当てはまらない。
(誰にも当てはまらないだろうともおもう。蛇足だけれど)
僕にはそれが想像できない。
だから、僕は、たびたび言っている。

「ふつうは」って言わないで。
なにが、どう違うのか、教えて。言葉にして。
「ふつうは」という言い方で濁して「想像」させないで。
そこに想像力と共感を要求しないで。
(だって、どうしても違った想像になる。
 わかったつもりで誤解が重なって、
 もっと大きな不幸に襲われる)

そうしたら今度はこどもが言う。
「父ちゃんさあ、もっと我慢してよ。
 なんでもかんでも傷ついたって言わないようにしてよ。
 僕らだって我慢しているよ。
 ふつうの人たちはみんな我慢しているよ」

またか!
また、ふつうか!!

そしてこうも言われた。

「いちいち全部を説明していたら、
 どれだけ時間があっても足りないよ?」

こちらには返さなかったけれど、これもまた僕の地雷だ。

* * *

いちいち説明していたら、時間が足りない。

仕事でのあまりにも粗雑な、乱暴な丸投げが蘇ってくる。
「いいように解釈して作ってください。
 ふつう言わなくてもわかりますよね」

時間をおいて五月雨に出される要求が、矛盾を起こすことなんてザラ。
ふとした拍子にこうしたいと言われ、その瞬間、脳裏に浮かぶ諸々。
抑え込み、うちに抱え込むことが難しい数の細々として問題。

先送りして言われたとおりに実装したら?
問題はいつかのタイミングで表出する。
そのときになって彼らは無邪気にこう言う。
「どうしてこうなったんですか?」
「うまくやってくださいとお願いしましたよね?」

だからと言って、先送りせず、それぞれを確認してもうるさがるだけ。
「うまくやってください」の一点張り。
「細かく決めようとしたら、いつまで経ってもできませんよ」

あるいは気を利かせて頭をひねって実装してみせる。
「うーん、違いますねえ。ここ、こうなりませんか?」
どうにもならない矛盾を相手に悩んでいたら、悪くすると、
「なんでこんな簡単な実装にこれほど時間がかかるんですか?
 わからないなら聞いてください。聞くのはすぐですよ」

聞く耳を持たない、あまりにも無邪気で一方的な押し付け。

やれやれ。
どうやら僕は、あまりにも仕事に向いていない。

# うるせえバカ!
# 足りないおつむに聞こえない耳! 救いようがねえな!
# 寝言は寝てから言え!

いちいち話していたら時間が足りない。
そうかもしれない。
でも、その乱暴な言い方は、一方的に相手の時間を奪うことに等しい。

いや。
僕は、その乱暴な言い方に、
僕の時間を、
僕の努力を踏みにじられてきた。
だから、我慢しづらい。

僕の努力の方向性が間違っていることだって、たくさんあるだろう。
でも、だからこそ。
「その努力の向きは間違っているよ」
言葉を一つひとつ丁寧に重ねることが大事。
そう思っているんだ。

* * *

そう。
そういえば昨晩、こんな風にも言われたんだった。

きっと、僕は、どこか尋常でない拘りに振り回されているんだろう。
その意味で、僕は確かに障害持ちなんだろう。

心療内科での顛末

「最近調子はどうですか?」

ええ、とくに悪いところはありません。
先週末、いただいた診断書を受けて会社で面談をして、
13日から復帰することになりました。

「寝られていますか?」

ええ、毎日だいたい6時間ほど。

「出社することになって、生活リズムはどうなりますか?」

そうですね、
9時には出社できるようにしたいので7時ごろには家を出ることになるでしょうか。

「そうすると6時には起きないといけなくなりますね。
 大丈夫そうですか?」

ええ。

「ふだんは何時頃に起きているのですか?」

ええと、11時ごろ、かな……。
昨晩は寝たのが5時だったので。

「え?!
 なにをしていたんですか?」

え、いや、
書き物をしていて……

「大丈夫ですか?!
 それ、出社のリズムとまったく違うじゃないですか!」

あ、いや、
きっと大丈夫です。
横になれば寝られますし、
出社するようになればそのリズムに合わせられるとおも……

「何を考えているんですか?!
 まったく大丈夫におもえません!
 そんなんじゃ復職なんて無理ですよ!」

* * *

別段メモを取っていたわけじゃあないけれど、おもいだす限りこんな問答だ。

僕は当たり前にリズムを変えられるとおもっていて、先生はそうおもってくれなくて、なぜリズムを整えようとしないのかという問いに、でもその時がきたらできるからとしか答えられない。

僕にだって寝たほうがいいだろうな、という考えはよぎる。けれど、それよりしたいことの誘惑が強すぎて、僕は僕を止められない。
この休養に入る前、終電まで必ず仕事をやめられなかった。それも、僕にとって仕事があまりに強い誘惑だったからだ。クソみたいな無理難題をふっかけられていた。けれど、それを足りない時間の中でどうやって解決するか。一つずつ組み上がって形をなしていくパズルが、楽しくて楽しくて仕方なかった。僕にだって、こんなのに付き合う義理はない、生活を、家族を犠牲にしてすることじゃない。そう囁く心の声はあった。
でも、僕は、それでも目の前に「問題」を差し出されたら、「解けるか?」と挑発されているかのように感じてしまう。負けられない。絶対に負かしてやる。どうやっても、負けない。死んだって負けない。負けてなるものか。そうやって動き始めてしまう自分を止められない。
それは、僕にとってあまりに強い誘惑で、だから他にどんなに理性的な理由を並べられても押さえつけられない。

僕は、僕のしたいことを、止められない。

「それでも止めるんです。
 *ふつうは* 止めるんです。
 きちんとルーチンをつくって、
 毎日、規則正しく生活するんです」

クソ喰らえ。

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