人生には3つの存在が“教育”に必要

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僕は思う。人生には3つの存在が“教育”に必要だと。
「両親」「ソウルメイト(尊師)」「赤の他人」

おぐちmade針金自転車を、妻の姪っ子甥っ子にプレゼントした。親戚のおじさんの気まぐれに、めちゃくちゃピュアな笑顔で応えてくれた。
自転車冒険家の生の手で届けた“生命力”は伝わったかな。
おじさんとして、できることはまだあるんだね。

特に教育において。
僕の場合、その3者は明確だ。
「赤の他人」においては、大学生の時に出逢った湘南の海のおばあちゃんだ。
彼女の「赤の他人」っぷりがなければ、今の僕は成立しない。
そして「両親」について言えば、持論がある。
親が親である以上、絶対的に外部講師の存在は必要だ。残念ながら、親は子供に必要なものを全ては教えられない。子供は時に親に甘えてしまうし、正直ではいられない時期がある。むしろそれがなければ、子離れはできない。
「遊ぶ」と「教育」は違う。子供の教育最終プログラムは「親離れ」だと思う。そこが完成してこそ、親からの「教育」は終わる。

そう思うと、僕の存在理由もまんざら世の中の無駄にはなっていないなと思う。曲りなりとも世界の国を150カ国以上を自転車で走った人間は、自分のドッペンゲルガーを見るのと同じくらのレア感はあるかもしれない。
僕の存在理由を探して。
世界一好きな作家さん「シェル・シルヴァスタイン 」さんに今日はレクイエムを。

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