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大人の事情は、こどもに関係ない。子育てをする、自分にもルールを。

ぼくはよく、我が子に対して、こう口にする。「自分で決めたルールくらい守れよ」とか「ルール守れよ」と。で、お前はどうなんだ?って自問自答した話。丁度2,502文字、キリよくまとまった。

先日、ぼくは約10年勤めた会社を退職した。端的に言うと、一度ゼロになってみたい、そう思ったからだ。今まで積み上げてきたものを何もかも捨ててみたい、そのとき何が残るのかそれを確かめたい。いわゆるアラフォーの、いい歳こいたおじさんが、そんな動機で退職した。

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そういえば、大学1年の夏休み明けにも同じような動機で大学に行かなくなった。進学したけど、なにがしたいかよく分からない、この先なにがしたいのか自分の心を確かめたい。そう思い、バックパックを背負ってスペインはマドリッドから旅をはじめた。数々の出会いを重ね、思いのままに過ごした結果、3ヶ月後(タイのパンガン島(コパンガン)かタオ島(コタオ)だったか記憶は朧げだが)、あるものに、心の底から沸々と湧き上がるものを感じた。どうしてもこれがやりたい!挑戦したい!心からそう思えるものを確かめることができた。

その後10年ほど、無理に決まってるじゃんと言われながらも、その自分のやりたいことに突き進んだ。結局、実を結ぶことはなかったけれど、そこには確かに、自分の人生に進むエネルギーと情熱があった。笑われたっていい。失敗したっていい。そんなの全部、終わってみれば笑い話だ。素直にそう思っていた。ぼくは、当時の、あの情熱が忘れられないのだ。

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一度ゼロになってみたい。実は、そう思ったのには、いくらかの後悔が関係している。ぼくには小学3年の息子がいるが、生まれてこのかた、100%割り切って時間を割いたことがない。常に、なにかの傍らで付き合ってきた。

息子が話しかけてくると、出る言葉は決まって「ちょっと待って」。ねえねえ、と何度も呼びかけてくる息子を尻目にメールの返信をしたり、メッセージを送ったり、時にはオンラインで長時間のMTGをしていたり。あるいは、息子と話をしていても頭の片隅では常にやるべきことの段取りやスケジュールを考えていたり。「いま無理だから、あとでね」「このあと〇〇があるから、今度ね」。

それっぽい理由を正当化して言い訳してるだけじゃん。自分の無能さを露呈してるだけじゃん。それ、いい加減やめない? ぼくは、自分に対してそう言った。

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「ゲームやるなら、学校の宿題してからにすれば?」「やること先にやっちゃいなよ」「ずっと遊んでて、これが終わってないっておかしくない?」「ルール決めなよ」

ぼくは無意識のうちに、息子に対して、ルールを決めさせてそれに沿って行動するよう強いていた。

ところで、お前に子育てのルールはあるのか?息子に接するときのルールはあるのか? ぼくは、自問自答した。

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いま、退職したぼくには時間がある。退職とほぼ同時に、所属していたいくつかのコミュニティも全て退会した。そうして、なにひとつ追われるものがなくなった。息子が学校から帰宅する時間にはいつも家にいられるし、おかえりが言える。

もうこれまでの数年間は取り戻すことができないけれど、いまからでも出来ることはある。まずは「ちょっと待って」をやめよう。退職後、ぼくは、息子と接するときのマイルールを決めた。

いま、息子に声を掛けられたときの第一声は「OK、いま行く」。もし息子がゲームをしていれば、一緒にゲームの話をする。負ければ一緒に悔しがるし、勝てばハイタッチでYeah!と盛り上がる。うまくいかないことが続けば、もっとこうしたらいいかも、どうかな?と一緒になって作戦を練る。

息子は最近、フォートナイトというゲームにハマっている。きょうは、”エモート”(と呼ばれるダンス)を教えてあげると言われ、手はこう足はこう、それから回ってこうとレッスンを受けた。

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フォートナイトの「シナリオ」というエモート


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息子はこの動画がお気に入りらしく、何度も見せられて踊らされた。


息子はエモートを、動画を見ながら覚えたようだ。完璧とは言えないまでも、それっぽく見えてしまうダンスがカッコいい。どうやらエモートは数多くあるらしいのだが、それにしても次から次によく覚えてくるものだと感心する。息子曰く、学校ではトイレに行っているときや廊下を歩いているときにエモートを踊っているらしい。まさか、授業中はやってないだろうなと思いつつ、その言葉はそっと呑み込んだ。

そんな息子からレッスンを受ける膝が痛いアラフォーは、どう足掻いてもひょっとこ踊りくらいにしか見えない踊りになってしまう。それで息子は大爆笑。自分でも、リズム感のなさと運動神経の悪さに思わず笑ってしまう。

息子よ、今年の夏休みはどこに行こうか。なにをしようか。その前に、明日もエモートで爆笑しようか。


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こどもにとってかけがえのない時間は、きっと親にとってもかけがえのない時間なのだ。

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ここからは余談だが、ぼくは最近「宇宙兄弟」にハマっている。


大人が情熱を取り戻したり、幼少期の原体験を思い返したりするのに、漫画はきっと役に立つ。宇宙兄弟は、見聞きしたことはあったが、これまでまともに読んだことがなくて、この歳になってはじめて読んだ。主人公となる2人の兄弟、また、登場人物それぞれが、それぞれのバックボーンや想いから宇宙飛行士という夢に向かっていく姿に感動し、幾度となく目が潤んだ。

「宇宙兄弟」以外にも、これまで読んだ漫画のなかでは「スラムダンク」なんかも心がアツくなる。伝説の試合、「湘北 vs 山王」。この試合に感動した人は少なくなかったと想像する。

大人にはいろいろ事情があるのは分かる。けど、こどもとバカみたいに遊んだり、真剣に話をしたり、一緒に悩んだり......。こどもは、言わないだけで、きっとそれを待っている。ずっとじゃなくてもいい。その瞬間、おなじ空間で、おなじものに目を向けて、一緒に泣いたり笑ったり。どんなにくだらないことでも、それがきっと、かけがえのない時間ってやつなんだ。


おしまい





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