創作に「熱意がない」って言われたら。
昔、上司に言われたことがあります。
「恒石くんの熱意が伝わってこない」
その時の返事は「はあ……?(何言ってんだ?)」という感じでしたが、
そもそも熱意って何なんでしょうね。
割と精一杯やってるつもりなんですが、どうにも伝わらない。
創作において作者にファンがつく理由の一つでもある熱意。
決してなおざりには出来ない要素でもあります。
今日はその正体と、熱意を見せる方法について考えていきます。
■熱意の正体は、面倒なものである。
熱意とは。
物事に対する意気込み。熱心な気持ち。
いちずにそれに打ち込んでいる気持ち。
例)「熱意がこもる」「仕事に対する熱意を買う」
《引用:コトバンク》
うーん、曖昧。
でも言葉の意味は何となく理解できます。
意気込み、いちずに打ち込む。
それは創作でいう「こだわり」の部分かと思います。
例えば……
「イチャラブで女の子の可愛さを見せたい!」
「この作品では人間関係の変化を重視しました!」
「このキャラクターは何よりもカッコよさを押し出してます!」
これってまさしく「こだわり」ですよね。
そして意気込みでもあり、いちずに打ち込むことでもある。
なので「こだわり = 熱意」だと私は考えました。
だがしかし……それはどうにも数値化できない事柄なので、
じゃあどうやって証明するのかと悩んでしまう。
例えば、
「このシーンに1週間掛けました!」というこだわりがあったとして。
それは熱意と呼べばいいのか、それとも生産性の欠如と呼べばいいのか。
1週間のうちどれくらい時間を掛けたのか分からないから、
そもそも怠慢である可能性だって拭えません。
創作において「時間 = クオリティ」というのは絶対ではない。
短い時間で最高の作品が生まれる可能性は0じゃないよね。
だから沢山時間を掛けてこだわりました、
というのは一概に熱意とは呼べないと思ってしまいます。
■2つの鍵が揃いし時、熱意の扉が開かれる。
それを踏まえた私の結論としては、
「2つの要素が重なって、ようやく熱意が生まれる」ものだと思います。
1つ目は「成果がもたらす熱意」。
「この作品のここが良い!」
「このシーンが素晴らしい」
「この子めちゃかわファンになります」
例えば作品を通して、ユーザーはこう感じることがありますよね。
そして自分たちがそう感じたからこそ、
「ここに力を入れている」と作者のこだわりを(勝手に)感じるはず。
これこそが成果がもたらす、
つまりは「ユーザーが感じた熱意」になります。
合わせて2つ目に必要なのが「過程がもたらす熱意」。
「このシーンでボロ泣きさせたいから、徹底的に感情を描くぞ!」
「キャラクターの対立を自然に出したいから、描写をこだわる」
「かつての敵を仲間として出演させる熱い展開を書きたい!」
制作している側としてはこんな風に考えながら作ることが大半ですよね。
ここだけは譲れない、
というようなこだわりは少なからず1つくらいあるはず。
……いやまあ、1年前の自分にはなかったけど。
会社では基本、先輩たちに囲まれてたこともあって、
自分の考えを出す勇気が出なかったから。
(今はしっかり自分の考えを伝えた上で相談していく覚悟が出来た)
ともあれ、これが過程がもたらす、
つまりは「作者が持っていた熱意」になります。
・成果(世に出た作品)からユーザーが感じた熱意
・制作過程で作者が持っていた熱意
先程説明したこの2つが重なった時こそ、
本当の熱意が生まれるのではないでしょうか。
言い換えると……
作者が考えていなかった熱意は決して熱意ではなく、
読者に伝わらなかった熱意も熱意ではない。
作者の考えていたこだわりがユーザーに伝わり、
ユーザーがそれをこだわりだと感じた瞬間、
ようやく本当の熱意が生まれる。
これが創作における「熱意」の正体だと私は考えています。
■熱意を見せる方法も2つ、どっちを取る?
じゃあ上司に限らず、
ユーザーを含めた見る人全員に熱意を見せるにはどうすればいいのか。
前項の結論から相手目線で考えてみると……
「作者の熱意を知って、その部分を通して熱意を感じる」
「ある部分を通して熱意を感じた後、そこが作者の熱意と合致する」
この2パターンかと思います。
「どういうことだよ! 熱意多すぎてよく分かんねえよ!」
じゃあ、もっと具体的に言えば……
作者「作品のここに超こだわったんだわ!」
と伝えてから作品を見せて、
読者「確かに作品のここ超面白くて、こだわり感じたわ!」
となるのがパターンA。
読者「何これめっちゃ面白いやんけ! 作者のこだわりが見えるわ!」
と作品を見て感じてから、
作者「この作品のここ、めっちゃこだわりました(ドヤァ)」
というのを知る。
これがパターンB。
……なんだこの作者ムカつくな。
(ドヤァ)じゃなくて(えっへん)にしといた方が良かったか。
この2つのパターンには明確な違いがあります。
それは「受動的」か「能動的」か。
受動的:自ら動かず、外部からの影響を受けてから行動すること
能動的:自ら行動して、外部へと影響を与えること
受動的なのがパターンB、能動的なのがパターンAです。
どっちがいいのかは言わずもがな。
いや言うけど、パターンAの方がいいです。
だって自分から行動する方がコントロールが効くからね。
受動的は完全な受け身、相手が動くのを辛抱強く待ち続けるのだ。
控えめに言って地獄!
どっちを選ぶかはあなた次第です。
■恒石流、熱意の見せ方。
これらの考えを元に、
私はパターンAを使って熱意を見せることにしました。
つまりは「これを、こう考え、こんなこだわりを持ってやる!」と、
宣言しながらあらゆることに挑戦しています。
その主な活動が「note」と「Youtube」。
noteでは、こうして自分の思考をアウトプット。
「自分はこう考えてコンテンツを作っている」
「こんな目標で、新しい活動していきます!」
Youtubeでは、
挑戦する企画「小説家になろうでランキング1位を目指す」をやったり。
「こうやって分析して、こんな作品書きます!」
「結果、アクセス数やブックマーク数の推移はこんな感じです」
これを通して自分の熱意を伝えて、
それがユーザーに刺さったらより強く熱意になると思うから。
だけど問題があって……
「こっちも精神的には辛いじゃねえか! 馬鹿!!」
そう叫んでしまう理由は、
認めてもらえるか分からない熱意を先んじて言ってしまうから。
作者「ここ死ぬほどこだわったんやで! 見てほしい!」
と宣言してから読んでもらって、
読者「ここそんなに面白くないやん……どこ、熱意どこ……?」
こうなったら目も当てられない。
反応なかったり認められなかったらクソ恥ずかしいんだよね。
■創作者につきまとうネガティブとの付き合い方
間違っているかもしれない。
誰も見てくれないかもしれない。
嘲笑されるかもしれない。
正論で説き伏せられるかもしれない。
失望されるかもしれない。
創作活動をやってたら、
ネガティブな感情ってのは正直めちゃくちゃある。
(なお自分の外にはほとんど出さない)
だけど知ったもんか。
創作におけるネガティブな感情は割と一過性だと思ってるから。
その日、次の日くらいはすげえ引きずるけど……
一週間も経てば落ち着いてくるもの。
つまり感情とは目先のもの。
でも私が見ているのは、もっと先にあるんです。
熱意を宣言しての活動の真価は「勝った時の利益が大きいこと」。
熱意が強固になるだけでなく、
こういった「知識」を書いたnoteにも価値が生まれるんですよね。
そんな感じで遠い目標、未来を見据えて活動するといいと思います。
いわば自己投資だね。
本を読んだり、英会話などのスクールに通ったりするよりも、
「データ・形として資産になる」のでメゲずに頑張りましょう。
という所で今日はここまで。
この記事があなたの創作活動の一助になれば幸いです。
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では、また次回お会いしましょう。
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