獣、混沌、清濁-伊豆の踊り子/川端康成
<日本文学編02>
あらすじ
旧制高校生である主人公が孤独に悩み、伊豆へのひとり旅に出かける。途中、旅芸人の一団と出会い、そのなかの踊子に、心をひかれてゆく。清純無垢な踊子への想いをつのらせ、孤児意識の強い主人公の心がほぐれるさまは、清冽さが漂う美しい青春の一瞬……。ほかに『禽獣』など3編を収録。巻末の三島由紀夫による「解説」は、川端文学の主題と本質についてするどく論じている。
__________________________
恥ずかしながら、日本で最初にノーベル文学賞を受賞している大作家であるにも関わらず川端康成の作品を読むのは初めてだった。
読む前の印象はどこか冷たい感じがあって、日本古来の「美」を追求し、美しい文章が裏付ける叙情的なナントカカントカな文豪の一人だと持っていた。
しかし、想像とは全く違っていた!!!
「伊豆の踊り子」はあまりにも有名である。
これは別に良い。この作品に関しては僕の読む前の印象通りで、美しい文体で日本の風景を淡々とどこか冷たく、それはあまりにも繊細である。
これは別に良い。問題なのは他3編の作品なのだ!
新潮文庫篇では表題作「伊豆の踊り子」の他に
「温泉宿」「抒情歌」「禽獣」がある。
この三作が問題なのだ...!!!
川端康成の作品はとても「難解」である。
これはカフカなどに近いかもしれない。
あれ、今どこ読んでるんだ?何のことを言ってるの?
と言った場面が多数。
そして読後は、
「こんなことが言いたかったのかもしれない。」
「いや、何も言いたいことがなかったのかもしれない。」
となる。
まず温泉宿は「獣」の匂いがプンプンする。
ラリってるのかと思う。
あの時代、生きるだけでも大変だった時代。
こんな幸せな日本にいたら想像はつかないかもしれない。
「抒情歌」は作者の頭の中を見ているような、メモを見ているような気分。
普通に考えたら「何言ってんだこの人?」
作者の思想がとめどなく溢れて流れてきてそれを受け止めきれない現代の僕らは、やはり「救い」がたくさんあるからかもしれない。
文字の、言葉の水の流れに押しつぶされそうだった。
そして僕が一番考えさせられた「禽獣」。
ペットを飼った事がある人なら一回は読んでほしい。
いや、読まないほうがいいかも。
ペットは「家族」と認識が普通かもしれないが、やはり根底にあるのは「愛玩」という言葉なのではないか?
どれだけ人間のエゴをひた隠しにしているだろうか。
言葉が通じない僕たちは彼らに対して、果たして「絶対」とは言えないのである。
ペットを愛していながら次々に死なせてしまう男の話だが、誰しもがこの男のようにはならないと言えようか。
この男はペットを愛しているのだ。それは「家族」としてか、「愛玩」としてか。
言うなれば、「誰も悪くない」のである。
おそらく川端の他作品は、有名どころは「伊豆の踊り子」のように読ませにきてるかもしれないが、実は難解でドロドロした作品が多いのではないか?
シングルのA面はアーティストのイメージ通りの曲であっても、必ずしもカップリングはそうはいかないのである。
カップリングで壊しにきている。
他作品はどうなのだろう…。
2020:06
この記事が参加している募集
100円でいい事があります(僕に)