見出し画像

「子ども扱いしない」と思い込み過ぎているのかもしれない


子どもが生まれる前から、子育ては「子ども扱いせず、一人の人間として接する」ことが、どんなことにおいても重要な心構えとして理解してきた。

子育てについて調べてみると、いろんなところでこの言葉、考え方に行き当たってきたからだ。というか子どもに関するどんな問題も、この考え方が出来ているか、体現出来ているかということが根底にあるのだと思う。

「子ども扱いしない」「対等な存在」「尊重する」

この前提を持たず子育てをすることで、子どもにとってマイナスなことがあることも調べているとたくさん目にするし、現実に自分で子育てをしていても反省するような接し方をしてしまうこともある。

常に子ども扱いし、何でも先回りして手助けしたり、何事においても子どもの意見より親の考えや都合を重視してしまったりなどといったようなこと。

これって、子どもにとっては自分を信用してもらっていない。もしくは自分の意見は聞き入れてくれない。という感情に繋がり、自己肯定感を下げてしまう要因になるのだろう。


反対に「一人の人間として尊重する」ことで、自己肯定感は上がり、成長していった後の人間性にも大きく影響するのだろうと思う。

もちろん、このことがとても重要なことは理解しているし、自分でも基本的な前提として大切にしている。
むしろ当たり前とも思っている。

ただ、最近個人的に、子どものこと、子育て、教育などの情報を得ようとすると、あまりにも「一人の人間として尊重することが大切である」ということばかりが目に入ってきて、目にするごとに少し違和感を感じるようになった。

正しいし、良いことなのは分かっているけれど、その情報ばかりが溢れていると、何も考えず偏った捉え方をしてしまう場合もあるのかと思う。

自分がまさにそうなってしまっているなと感じている。


子供扱いせず、一人の人間として接する


このことの本質は、子どもが今どういう状況なのかを一人の人間として、客観的に観察した上で関わっていくこと。

一人の人間として対等だと捉え、尊重することを前提にした上で、「いろいろ出来ない」「分からない」「気持ちが乗らない」などの、実に子どもらしい、子どもだからこその状況や感情というものを観察し受け止めることが大事だということなのだと思う。

今、このことについて自分の子育てで振り返ってみると、一人目の子どもだけを育てているときは、その子だけを見ていけたから特に難しさを感じてはいなかった。

ただ、二人目が生まれて以降、親としては忙しくなり、当然のように上の子には自分でやってもらうことが一気に増えたことによって、「子ども自身の状況や感情」と、「子ども扱いしないという自分の考え」との間にギャップが生まれてしまっているように最近特に感じている。

「子ども扱いしない」という言葉の引力

「子ども扱いしない」という言葉の引力が強く、対等に接しようと思い込み過ぎてしまっている。そのことが原因で、いつしか本来の概念である「今のその子どもの状況や感情を尊重する」ことが抜け落ちてしまっているときがある。

親の思うようにしてほしいという、子どもへの甘えもあるのかもしれない。

出来て当たり前、分かってくれているとの勝手な思い込みから、
「そんなこと自分でしなさい」「出来ることなのに何でやらないの」などと注意をしてしまうし、たくさんの我慢もさせてしまっている。


ここらへんの概念や考え方がうまく整理出来ていないので、若干混乱した解釈になっていて、なかなか理解してもらえないかもしれないが、自分では確かにそう感じている。


一つの考えに固執することの弊害


「子ども扱いせず一人の人間として接する」という概念の表面的な意味合いに固執してしまい、本当の意味での捉え方が出来ていなかった。

これはどういったことなのかと考えてみると、一つの考えや、過去にうまくいった成功体験に固執してしまうことによる弊害が生じているということだと思う。

他の考えを受け入れないということ。
いつしかその信じている考えに対する理解そのものが変化し、変化したものを信じ続けてしまうということ。
状況が変化していることに気が付かず、考え方がズレてしまったことにも気が付かないということ。
などの弊害である。

子育てだけでなく、日々生活していても、仕事していても注意していくことが大事で、いろんな考えがある、いろんな見方があると柔軟になること、柔軟であり続けることが必要なのだと思う。

では柔軟な考えが持てるようになるにはどうすればいいのか。意識するということだけでは何も変わらないような気がする。

以前、どこかで聞いたことがヒントになりそうなので、引用したい。

視座 : 視座を高く持つか、低く持つか。
視野 : 視野を広くするか、狭くするか。 
視点 : 視点を多く持つか、少なく持つか。
物事をこの3つのどれかだけではなく、視座を高く、視野を広く、視点を多くという3つすべてで捉えることが大事。


子どもに対する心持ちとして自分なりに考えてみると、

視座を高く持つ
子どもとどんなマインドで接するか、育てていくかの理想を持つ。
自分の対応の仕方が、子どもにどのような影響を与えるのか意識する。

視野を広くする
自分の考えが凝り固まっていないか自問する。
長期的に捉えるとどうか、短期的に捉えるとどうかと考える。

視点を多く持つ
他に考え方や良い方法がないかを考える。
子どもはどう感じているか、第三者が見たらどうかなどの、他の見方を意識する。

日々出来事や感情は流れていってしまうので、これらのことを常に意識して対応していくことはなかなか難しい。だから何か子どものマイナスな感情に気づくことが出来たとき、一度立ち戻って整理して考えることはしていきたい。

子どもが発しているマイナスな感情は今までも感じることはあったが、自分から目線を合わせ向かい合うことをしていなかったのだなと反省する。

一つの考え方に凝り固まったり、思い込み過ぎるという一方的な接し方ではなく、やはりその子どもの状況、感情を観察し、子どもが発しているアクションを受け取り、その上で判断しリアクションする双方向のコミュニケーションが何より大切なのだなと思う。

結局、子どもを良く見ているつもりになっているが、実際には自分の観察が足りていないことが原因で、お互いにとってマイナスな感情を生み出してしまっているのだと、肝に銘じていきたい。

あれこれ考えてみて思うことは、
「子ども扱いしない」と思い込み過ぎることをやめる

まずはそこからはじめたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?