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明けまして淡々と

お正月はいつもの通り川崎の実家に帰省。一人で暮らす母は1月3日が誕生日で、無事87歳を迎えた。無事とは言っても要介護の身。寄る年波には抗えず、特にここ1〜2年はできなくなったこと・やらなくなったことが格段に増えた気がする。

典型は料理だ。もともと間違っても料理好きとは言えない母だが、長年、自営業の家族4人の3食を作ってきた実績はある。それが今ではお米を研いで炊飯器のスイッチを入れるのがせいぜいになってしまった。腕力がなくなったとか、手先が震えるとかの物理的な理由だけじゃない。料理とは段取りそのものであって、その段取り能力こそ加齢とともに失われていくのである。悲しいけどそれが現実。

正月4日は同い年の元同僚と、5日は高校の同級生3人と会って喋り倒したが、話題の8割方は老親のことだった。まあ、そういう世代だから仕方ない。しかし、と思う。こんなヨロヨロの親を抱えて大災害に見舞われたら、自分はいったいどうするだろうか。今はひたすら、此度の地震で被災した人々の無事と安全と健康を祈る。

そして、この機に乗じて高齢者をカモに寄附金詐欺だの修繕詐欺だのやらかしてる奴ら。きっと呪い殺してやるから見ておれ。

さて、仕舞いにちょっとは新年らしい写真を。こちらは帰省中に初めて行った横浜橋商店街(横浜市南区)。昭和の懐かしさ満載でかなり魅力的だった。

日本人はあんまりいないみたいでエスニックなお店も多いなか、たまたま入ったバインミー屋さんが大正解でハッピー。そんなささやかな幸せこそかけがえないのだよね。

そして正月の川崎の空に舞うトンビ。なんとなく縁起の良い気はするが、昔はこの辺にトンビなんていなかったような……。時代は変わる。

というか物理的条件によって常に現象は変化している。老化も地震も津波も、物理化学的諸条件による自然現象であり、それを悲しい苦しいと思うヒトの感情も煎じ詰めれば脳内ニューロン同士の電気信号のやり取りのはず。呪い殺すなどと言っておきながら私はけっこう(スピリチュアリズムに対する)物質主義の信奉者なのだけど、そんな知識を仕入れたところで人生ちっとも楽にならないところが自分の限界かなと思っている。

今年も淡々と生きていこう。

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