大永3年(1523)8月10日は毛利元就が家督を継ぎ吉田郡山城に入った日。兄興元の後継者の甥幸松丸が9歳で死去。重臣の推挙で元就が家督を継ぎ一代で小領主から中国地方の覇者となる。希代の謀将元就が分家のままなら後の毛利氏は我々が知る形でないかも。あれが私の分岐点と言えること何だろ。

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