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「褒める力」で強力な家臣団を作った武田信玄のことば

こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。

武士の世というと主君が絶対で、使える家臣たちは絶対服従といった主従関係のイメージがあるかもしれません。

ただ戦国時代というのは、国衆と言われる土着の武士たちの代表として戦国大名がいるという関係が多かったようです。つまり下にいる者たちのチカラが意外と強くて、支えられた上に大名がいるという関係性です。

上から一方的に命令するだけでは上手くいかないということが多かったようで、家臣を褒めて使うということを実践していかなと生き残れませんでした。

そんななかで後に武田二十四将といわれる強力な家臣団を形成していたのが武田信玄です。「甲陽軍鑑」という資料には信玄のこんな言葉があります。

良い大将というのは、戦の時、自分の采配が良かったから勝利を得たとしても、近習、小姓、小殿原(ことのばら:若い武士たち)、若党、小人、中間(ちゅうげん:召使)たちまでも褒めて、「お前たちのはたらきがあったから勝ったのだ」と言うので、このような大将のもとには大名、小名、足軽、徒若党(かちわかとう:徒歩で使える下級武士)、小人、中間たちまで、戦の腕に自信があるものたちが多く集まるものである。

仕事が上手くいたときは自分の手柄、失敗したときは部下のせいにしているようでは先が見えてしまうものということでしょうか。

信玄は家臣たちに気を配り褒めて評価することが武田家を強くするという考えだったことがわかります。

信玄は、ただ単に良かったと褒めるだけでなかったようです。

「武士はほめるもそしるも、ふまえ所をもってさたするものなり」

つまり褒めるときも叱るときも、どこが良かったのか、どこが悪かったのか具体的に家臣たちに言っていました。だから、次も頑張ろう、次は直そうと行動できたということですね。

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