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武将の振る舞いと愛情を併せ持つ小松姫の逸話

こんにちは、両兵衛です。
現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。

私の戦国逸話noteを読んでくれている方から、戦国の女性についても取り上げてもらえないかという話をいただきました。

どうしても残っている逸話自体も男性の戦国武将と比べると多くないですが、ときどき取り上げていけたらと思っています。

今回戦国の女性ですぐ思い浮かんだ逸話がありました。登場してもらうのは小松姫です。稲姫とも呼ばれ、大河ドラマ「真田丸」では吉田羊さんが演じられていました。

信濃上田城主の真田昌幸の嫡子で、上野沼田城主の真田信之の正室が小松姫です。小松姫の父は、徳川家康の家臣で徳川四天王、生涯57回の戦でかすり傷ひとつ負わなかったといわれる本多忠勝です。家康が小松姫を自分の養女として、信之に嫁がせました。

慶長五年夏、会津の上杉景勝を討つため家康が関東へ軍勢を進めます。これに真田は従っていましたが、下野の犬伏まで来たとき、大坂で石田三成らが家康討伐の兵を挙げたことを知ります。

俗にいう"犬伏の別れ"で、昌幸と信之の弟である信繁(幸村)は三成方の西軍、信之は家康方の東軍へつくことになり、天下の情勢は関ケ原の合戦へ向かっていくことになります。

今回は西軍へつくことにした昌幸が、家康のもとを離れ居城の上田城へ帰る途中で、小松姫のいる沼田城へ立ち寄った際の逸話を取り上げます。

真田昌幸が上田城へ引き返す途中、沼田に至ったので、孫の顔を見てから上田に帰ることにした。夜になって信之の居城である沼田城へ使者を出して申し入れた。

「少し城中で休みたい」

しかし、応対した小松姫はこう答えた。

「なぜ、家康公から離れて帰城されるのですか」

使者は答えた。

「なぜかはわかりません。急に上田へ帰ることになりました」

小松姫は言った。

「伊豆守(信之)も一緒なのですか」

使者は答えた。

「いえ、伊豆守殿は家康公とご一緒です」

小松姫は、安堵の表情で言葉を続けた。

「女とはいえ、留守を預かり城を守っているからには、舅殿(昌幸)であっても理由なく城に入れることはできません。どうしても城に押し入るというのであれば、わが子を斬り、私も自刃し、城に火を放ってから渡しましょう。どうか、城下で宿を借りてお休みください」

使者が昌幸へ報告するため、帰ろうと城門までくると、すでに櫓や門は弓や鉄砲を備えた兵で固められていた。
使者が帰ったのち、小松姫は薙刀を侍女たちに持たせ、鉢巻き、たすき掛けで城の守りを固めるよう指揮した。

使者が昌幸に報告すると、昌幸はしばらく黙った後、こう感嘆した。

「事情を考えなかったことはわしが軽率であった。とはいえ、さすがは本多の娘だ」

昌幸は、再び沼田城へ使者を送って意思を伝えさせた。

「昌幸は、城を奪おうとしたのではない。ただ孫に会いたいだけである。心配することはない」

それでも小松姫は聞く耳を持たなかった。昌幸に備えて戦の準備を指示した。昌幸は敵陣と対するような緊張感をもって急ぎ食事を済ませると上田へ向けて出発した。

小松姫は城内の家臣たちが心変わりしないよう、老女たちに命じ、家臣たちの妻子を集め、慰安の遊楽と供応に努めた。こうして数日間、帰宅を禁じたので、誰一人異心を抱く者はいなかった。

この逸話はいくつかの資料に登場するようです。その中には昌幸はただ追い返されただけではなく、翌日に城外の正覚寺で密かに小松姫が連れてきた孫に会うことができたという話もあります。

戦国時代の女性といえば、政略結婚で無理やり結婚させられる可哀想な姫というイメージを持っている方もいるかもしれません。

しかし、小松姫は武将も顔負けの胆力のある姫だなという印象ですよね。

また昌幸といえば、豊臣秀吉から「表裏比興の者」と評される裏表のある策士として知られていました。身内とはいえ立場が変わって沼田城を奪いに来たのではと皆に思われてもしかたありません。

思慮深く機転を利かせて自分の役割をわかって昌幸を追い返したのではないでしょうか。それだけでなく、裏では舅に孫を対面させる愛情も併せ持つところが女性ならではなのかなと思います。
男女の別に関係なく、こんな逸話の持ち主はとても魅力的です。


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