延徳3年(1491)7月1日は足利茶々丸が家督を狙う義弟と義母を殺害し堀越公方の地位を手中にした日。享徳の乱で鎌倉公方は古河公方と茶々丸の父・政知の堀越公方の2人に別れていた。政知亡き後の堀越公方家中の混乱に乗じた伊勢宗瑞(北条早雲)による伊豆侵攻により堀越公方は2代で途絶えた。
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