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今じゃないだけ:サラリーマンが幸せになる方法 その52

これは、サラリーマンが幸せになるために「ありたい自分( being )を軸に持ち、ありたい自分を良好な状態( well-being )にし続けること」について書かれた note です。

他人は変えられないけど出来る事がある。と以前書きました。それでもやっぱり想いを伝えたい、届いて欲しい、と願うことはありますよね。しかし、そんなときに限って伝わらない物です。”そんなとき”の心のありかたについて考えてみます。

半径5メートル

半径5メートルという言葉。ドラマにもなりましたが、簡単に言うと身の回りのこと。家族、友人、同僚やご近所、そしてなにより自分自身。提唱する人によって1~5メートルの幅がありますが、だいたい同じ意味です。

半径5メートルをハッピーにする。
半径5メートルを大切にする。
私もそうしたマインドでこの note を書き続けていますし、そうしたマインドで家族や身の回りの人に接するように心がけています。

しかしこれが意外に難しい。

どれだけ相手のためを思って言葉を尽くしても、導いても、耳を貸さない受入れてもらえないことが沢山あります。

人は「正解」には興味がありません。自分の知りたいこと、聞きたいことだけを(多くが無自覚に)取捨選択して取り入れる性質があります。正常性バイアスとか心理的リアクタンスなど、こうした特性を言い表すバイアス(心理的な偏り、思い込み)が多数存在することからも、人に伝わるように伝えることの難しさが伺えます。

また身近な存在だから「こそ」耳を貸さないケースもあると思います。実際、私の家族がその典型で、タレントさんやお医者さんの言うことには素直に従うくせに「それ私が言ってることと同じじゃん。今まで取り付く島もなかったのに?」という場面がいくつもありました。

もちろん身近だから伝えられることも沢山あります。ただ少しスケールの大きいテーマや、正しさとか誠実さなどなど、視座の高い言葉は伝わらない事が多いな、と感じています。私だけでしょうか?

金言

私は well-being の社外研究会に所属しています。そこでは、well-being の集合知やコツをパターン化して書き出し、パターンランゲージというものを制作しています。

先日、そのパターンランゲージを使ってABD(アクティブ・ブック・ダイアログ)という手法のワークショップを実施しました。ABDとは、参加者がそれぞれ読む個所を分担して1つの本を読み、自分のパートを要約して披露し合い、みなで同じ本を読み対話するという手法です。

その対話の中で「伝わらない」難しさについて話題を振ると、参加者から一生覚えているだろう金言をいただきました。

伝わらない時に、自分の技術のなさを責めたり、聞き入れない相手のせいにしてしまいがちだけど、

「今じゃないだけ」

と考えると気持ちが楽になる。

すごい!目からうろこです!

自分のせい。他人のせい。
こうした「人」に原因を求めてしまうと、気持ちがささくれ立ってネガティブになってしまいますが、ただ単にタイミングが悪かっただけ、と考えれば誰も悪くない、と穏やかなままでいられます。

もちろんタイミングを見誤った悪さはありますが、どちらが悪い?という二元論からは逃れられます。

行動経済学的にも、人に伝えるモアベターなタイミングがあることは分かっています。相手に伝わらなかったのは、今じゃないってだけなんだ。と考えられるマインドセットをいただきました。

ありがとうございます!

充電期間

先のワークショップでファシリテートを続けていると、8歳の息子が乗り込んできました(ウェビナーあるある)。

「タブレットの充電器どこ!?早く!!」

もの凄く切実な顔をして何を言うかと思えば、タブレットの充電器が見当たらないとの事。参加者にお詫びしてUSBコードを渡して戻ると、先ほどの金言の方がまた興味深い言葉をおっしゃっていました。

息子くんは、私たちにも「充電が必要」と言ってるのかな?

冗談めかしたセリフでしたが、なるほど!

タイミングが今じゃないってだけ
だから、今は充電しよう


これは、いろいろなシーンで大切なマインドセットかも知れません。押してダメなら引いてみな。気持ちだけが前のめりになって、タイミングやシチュエーションを見誤ってないだろうか?意固地になって逆効果になっていないだろうか?そんな時は少し休んで冷静になろう。

もちろん熱意で突破する方法もあります。
勢いで押し切ることだってできます。

でもそれは私の流儀じゃない。
私だけじゃないですよね。

押してダメなら今は充電しよう。

それでいいじゃないですか。

まとめ

1.半径5メートルに変わって欲しいと伝えてもいい
2.伝わらなければ「今じゃないだけ」
3.今は休んで充電しよう!


それにしてもファシリテートしている私が圧倒される含蓄に富んだ参加者でした。こちらが教えられることばかりです。学びの場というのは、参加する側だけじゃなくファシリテートする側にも多くの学びが得られる場だと感じています。ひとえに一様な価値観、ものの考え方じゃない人が集まっているからだと思うんですよね。多様性の賜物です。

あなたのヒントになれば幸いです。
(ヒントにならなくても今じゃないだけ、ですから)

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