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20歳になってみて

11月26日で20歳になりました

 11月26日で、20歳になりました。ここまで来れたのは、両親、聖学院の先生方、これまで出会ってきた方々のおかげだと思っています。まずは、その方々に感謝の気持ちを言いたいと思います。
「本当にありがとうございます。」
本当にどうしようもない私を見捨てずに、沢山色々なことに誘っていただき、また沢山叱っていただき、そして沢山のアドバイスをしていただいたことによって今の私があると思っています。
本当にありがとうございます。
本当に、感謝、感謝、感謝です。

なぜ、今記事を書こうと思ったのか

 10代が終わる、20歳という人生の大きな転換点に何を思い、何を考え、また何に怯えているのかを残し、書くことは、記録や頭の中の整理そして私がどういう人間になったのかを知っていただくという観点から大事だろうと思いました。また、今自分が20歳になって怯えていることを書くことで、読んでいただいた方々のお考えを知りたいという気持ちもあります。最初は、Facebookの投稿として書こうと考えていましたが、書く内容について考えていくうちに、「これは大変な字数になるのではないか」という予感がしてきました。なので、今回noteにまとめてみました。
(※実際、約3000字の文章になりました…)

20歳になって感じること

 最初は、20歳になって感じることについて書こうと思います。一番感じることは、体の変化です。まずは、食べ物の変化です。最近、脂っこい食べ物を食べたいと思わなくなってきました。食べた後に、胃がもたれるからです。特に、時間が経った「マックのポテト」はキツくなってきました。昔は、関係なく食べていたのですが… 今は、本当に無理です。
 そして、睡眠を取らないとやっていけなくなったということです。10代の頃は、課題に追われて寝る時間が1時間や2時間でも、生きていけました。しかし、最近は生きていけなくなってきました。寝るということの大事さがわかってきました。最近は、体に気を配らないとまずいと思うようになってきました。体の衰え、それが今感じていることです。

20歳になって思うこと

 次に、20歳になって思うことについてです。それは、2つあります。
 1つは、「人の一生の短さ」です。これは、大学に入って思うようになってきたことが、最近になって大きな思いになって現れてきました。高校生までは、時間は無限であると思い、生きていました。しかし、大学という学問をする場に入り、自分の知らないことの多さ、そして世界には沢山の知識があるということを知りました。その私が知らない世界にある様々な知識を、人の一生のうちでマスターする、また得ることは不可能に近いことです。そして、その知識を得るために本を読むとしても、人生の中で読める本の数は限られています。それは、論文を読むこと、フィールドワークをすることも同じです。だから、自分が知りたいことを絞る必要性があるなと感じています。
 しかし、色々なこと、様々な方面に興味を持つのが今の私です。授業を受け、本を読み、先生と話をしていく中、テレビを見る中など、本当に様々なところに興味・関心をそそることがあります。その中で、「どう知識を得ていくのか」、「どの分野の知識を得るのか」を考えていかなければと思っています。
 2つ目は、「自分の軸(自分の行動・思考の軸になっているもの、やっていて嬉しくなる、幸せを感じるもの)とは何か」ということです。これは誕生日を迎える前に、中学の英語の先生に「三浦くんの軸はどこにあるの?」という“問い”をもらったことから始まりました。「面白そう」や「やってみたい」で動く私は、この問いと向き合うことを忘れていました。人生は短いからこそ、自分の軸を見つけなくてはいけないと先生に言われました。本当に、その通りだと思います。ただ、自分では「これかな?」というものを見つけては、消え、また違うものを見つける。この繰り返しをしていて、本当に見つかるのだろうかと不安になっています。

20歳になって考えること

 3つ目が、考えていることです。それは、「どうやって生きていくか」ということです。これは、この後に書く、怯えていることにもつながってきます。20歳になり、時間の過ぎるスピードの早さを感じるようになりました。本当に「ぼーっと」していると、あっという間に30歳になるんだろうなと思っています。だから、1分1秒を大切に、大事に生きていく必要があると痛感しています。
 そして、人間には平等に死というものが訪れます。死は、いつ来るかわかりません。突然、訪れるものでもあります。つまり、明日死ぬ可能性があるということです。だから、いかに後悔することを少なくして、死を迎えられるかが大事だと思います。ただ、後悔は人間が生きている限りするものだと思います。それでも、後悔は少ない方がいい。だから、後悔はすることを前提とした上で、後悔が少ないような生き方をしていかないといけないのではと考えています。しかし、口で言うのは簡単ですが、本当にできるのかどうかはわかりません、、

今、怯えていること

 最後に、今怯えていることについてです。それは、「歳をとる」ということです。上の章でも書いたように、人生は限りがあり、いつ終わるかはわからない。しかも、歳をとるごとに体は若々しくなるのではなく、日々衰えていく。また、時間の進みも日に日に早くなっていく。そうしたことを感じ始めた今、年齢を重ねることに恐怖を感じるようになりました。また、今までは誕生日は嬉しい日でしたが、今回は人生というものの経過の早さを感じる日になってきました。だから、今私は歳をとるということをどのように捉えていけばいいのかわかりません。

わからない中で、見えてきた「光」

 最後に、不安を感じている中で自分なりに考えた「希望」について書きたいと思います。自分が今感じている“不安”と向き合う中で、「常にチャレンジをしていくこと」が今感じていることを解決する、解決とは言えなくてもいい方向を向くことができるのではないかと思うようになりました。チャレンジをすることは、自分と対話をして、自分の気持ちに正直になるということと同じだと思います。「自分は何をしたいのか」、「どういう未来で生きたいのか」などを考え、また伝えたいこと・思っていることは、口に出す。心が少しでも動いたなら、やってみる。失敗するのではないかと恐れるのではなく、まずは一歩を踏み出してみる。それが、後悔が少ない人生、死を迎えるときに納得して人生を終えられることに繋がるのではないかと考えています。まだ、仮説ですが、、

最後に

 二十歳になったのに、なぜ暗い話をするのだと思った方もいると思います。しかし、これが今自分が抱えていることです。今年の7月に、大学の助教に「人生で知れることは、限られているよ」と言われました。しかし、そのときの私はそのことを受け入れることができませんでした。しかし、20歳になる日が近づくにつれ、その言われたことを受け入れていかなければならないということに気づき始めました。気づいたときには、本当に焦りを覚えました。そして、考えれば考えるほど、「人生の短さ」とどう向き合っていけばいいのかわからなくなってきました。そのことを残し、また多くの人のお考えを知りたい、その一心で書きました。読んでいただいた方の考えていること、思ったことなど、なんでもいいので教えていただければ幸いです。
ここまで、読んでいただきありがとうございました。


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