自分の気持ちが揺らいだ日

今、ゼミ論で「災害・防災」をテーマに調べている。

災害や防災の先行研究が沢山ある。

しかし、被害や被害にあった人の話は災害ごとに違う。
しかも、被害に遭うまでの生活や災害が起きなければ送っていたであろう生活も違う。

だから、話を聞けば聞くほど、もっと事前に何かできなかったのだろうか、制度、システム、政策などで被害を減らすことはできなかったのだろうかと考えてしまう。
また、今後どんなことをしていけば目の前の悲しむ人を減らすことができるのだろうかと考えてしまう。
そして、自分のゼミ論(研究)にはどんなことができるのだろうかと考えてしまう。

多分、自分で言うのは笑われるかもしれないが、感情移入をし過ぎてしまうから考えてしまうのかもしれない。

でも、目の前の悲しい出来事をどうしたら無くすもしくは減らすことができるのだろうかと文献を調査しても、壁にぶつかってばかりだ。

文献は、地震や噴火、津波、その他の災害が起きる原因を解説してくれていいる。また、防災で備えておけばいいグッズを紹介する本は沢山ある。

でも、それで災害で悲しむ人を減らせるのかと聞かれれば、Yesとはっきりいうことはできない。なぜなら、災害で起きることは変数なことばかりだからだ。

だから、災害に完全に備えることはできない。それでも、何かできることがあるのではないかと思い、研究をする。でも、研究の限界、備えの限界、人々の意識の限界、危機感の限界、予知の限界など何かしらの限界にぶち当たる。

その限界を越えようと思っても、また別の限界か、似たような限界が待っている。

はっきり言って、限界ばかりだ。

でも、災害や防災で2つわかっていることがある。
それは、災害が起きたら「誰かが何かを失う」ということ、そして、失わないようにするために「見たくない現実」と向き合わないといけないということだ。

単純で明快なのに、このわかっていることをクリアすることがとても難しい。

どうしたらいいのだろうか…
毎日考えていても、文献を読んでいてもわからない。

僕はどこの職種や業界で仕事をしていれば、災害で悲しむ人を減らすことができるのだろうか。


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