頑張れなくなる前に頑張らない
一か月前くらいにこんな記事を書いた。
「頑張る」をテーマにした記事は書いても書いても考えが尽きるものではない。形がないものだから、そこに与える解釈は自由で。人によって違うことは言わずもがな、自分の中でも状況によって変わってくる。
昨日、ふと思ったことをXで投稿した。
こういうのってその瞬間、自分がその立場にならないと感じえない思いというのがある。だからこそそれが「人目に触れる場所」なのか、「自分だけの場所」なのかは別として想いを言葉にしておくのって大事だと思っている。
投稿したものというのが、
”頑張れなくなる前に頑張らない”
というもの。
ちょっと140字じゃ説明しきれない部分があるからここで追記したい。
前提として「頑張っている」人と「頑張っていない」人であれば前者の方がよく見られるのは言うまでもない。ただそこに行く段階の1つ前として、そもそも「頑張りたい」対象なのか、「頑張りたくない」対象なのかは大きく関わってくる。
ただ頑張りたくなくてもやらなきゃいけないことは世の中にたくさんあるというのは前提として持っておきたい。
それをすべて踏まえた上で、一番苦しい状況って「頑張りたくても頑張れない」だと思っている。そこに至る要因って環境的要因もあるがここで焦点をあてたいのは精神的要因で。
頑張りたいのに気持ちがついてこない、体がついてこない、ってことあると思う。中にはそれを”甘え”と呼ぶ人もいる。確かに部分的には甘えなのかもしれない。でも甘えだけで片付けちゃいけないこともあって。
だってこの場合、「頑張りたい」という気持ちはあるのに頑張れないんだから。頑張れるなら頑張りたいんだから。
そういう状態になる前に、頑張れなくなる前に「頑張らない」を選択できる人でありたいなと思うし、周りにそういう人がいたら「頑張らない」を推奨できる人でありたいな、と。
たしかに「頑張らない」を選んだ時、その瞬間周りに迷惑をかけるかもしれないし、自分の見られ方も悪くなってしまうかもしれない。でも、頑張らないを選んでまた回復したら頑張っていけばいい、それまでをカバーしていけばいい。
でも「頑張らない」を選ばず、自分を追い込んで「頑張れない」状態まで行ったとき、もう元の場所に戻ってこれなくなるかもしれない。
「頑張らない」で失うものは一瞬かもしれないけど、「頑張れない」状態になって失うものは一生ものになりかねない。
「人のために何かをする」というのはすごく尊いことだけど、それは自分が満たされているから出来ることであって。もちろん自分を満たすために「人のために何かをする」こともあるけれど、それならちゃんと満たされるように回収していかないといけない。
搾取されちゃいけない。
搾取されてしまうくらいなら、頑張れなくなる前に頑張らないを選びたい。
勇気のいることだけど、自分を守るためには大事なことかなと思います。
周りもそんな環境をつくれたら理想だけど。
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