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悶々

悶々。

漢字2文字、実質1文字でこれほどまでに感情表現をしてくれるものも珍しいんじゃないだろうか。

こういったネットの場って、何ものでもない人間は自分の思っていることをさらけ出しても基本的には問題ないと思ってる。

「基本的に」というのは、誰かを傷つけたり、誹謗中傷したりするのはもってのほかだから、当たり前のことだけど念のためつけておく。


自分だってそのつもりでnoteを始めた。

本当に何ものでもない、だけど溜まっているモヤモヤや悩みがある。自分の人生に対して、それこそ悶々とした思いがある。それを吐き出す場所が欲しい。藁にもすがる思いだった。

そうやって始めた文章書きは気づけば100日200日、1000日と超えていった。せっかくならと思い、いつしか名前を出してやるようになった。

するとどうだろう。

いつしか「誰も知らない」「何ものでもない」から始まったはずなのに、自分の知っている人が見ていることが分かり始めた。さらには、自分のnoteを少し見て会社に入った、なんて人もいるみたいだ。

こんなに嬉しいことはない。
その一方で、首輪をつけられる感覚も少しある。いやきっと周りの人はみなさん優しいから、

「自由のままでいいんだよ」

と言ってくれるだろう。だけどきっと「こうあるべき」像があって、ちょっとずつ言葉を選ぶようになっているのはある。だんだんと弱さを出すことが難しくなってきた。弱さを出しても、なんとか前向きな言葉で締めないと、と思う自分が出てきた。


でもさ、

たまには弱さだけ出したいときもあるじゃん、と謎の共感を促してみる。
なんかさ、どうにもならないようなこととか、どうしろっていうんだ、ってこととか、いや、え、まじ?ってこととか、「わーーー」って叫びたいこととか、そういう時ってあると思うんだよね、というかあるんです。

そこでさ、弱音をだらだら嘆いても何も解決しないのはわかってるからさ、どこにも棘を刺さずに短くまとめる方法ないかなって時に、

「悶々」

って実に最高にちょうどいい言葉だよね。

だからいろいろと抱えている想いを悶々という言葉に片づける。いやそれじゃ本来の言葉の意味の通り、何も解決はしていないんだけど、でも少なくともこれをこうやって表現できている状態だけで少しは救われるんだと思う。


やれることしかできないんだから。

とりあえずできるところまでやる。それに尽きる。

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