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伝えられる時に伝えとく

平日ど真ん中の水曜日を迎えた0時過ぎ、この記事を書き始めた。きっと最終的にこの記事を仕上げるのはこれから寝て、朝起きて、仕事行って帰ってくるかスタバに寄って。せいぜい20時間以上あとくらいのはず。

だけどなんか今のうちにちょっと書いておきたいと思って「投稿」ボタンをクリックした、1月19日の0時10分。


立て続けに2つのジーンとくるものを見た。

1つは京都きもの友禅の広告。

『照れくさいことは、したほうがいいこと。』

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一緒に写真を撮る。
いつもありがとうって伝える。
それだけのことが小っ恥ずかしくてもどかしいのは、
それだけのことでも家族は、大げさなくらい喜んでくれちゃうから。
今日は成人の日。
たぶん、逃しちゃいけない日。
照れくささは、えいっと振り払おう。
家族のうれしそうな顔を見て、こっちまでうれしくなろう。
大切な人の前で、素直になる。
まずは、そんな大人の一歩を。
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成人式のタイミングで出された広告。

成人の日というタイミングで出されたものだけど、きっとその日に限ったことじゃないと思う。「たぶん逃しちゃいけない日」、きっとこれからは毎日。”伝えたい”と思った時に、しっかりと伝えておく。

恥ずかしくても、別に機会に出来るでしょ、と思っても。

もしかしたらもうその別の日はこないかもしれないから。


もう一つはあるnoteの記事だ。

人にはそれぞれ目に見えてわかる「褒めやすい部分」と、目には見えない、内面の部分だから言語しづらい「褒めづらい部分」がある。

作者の言葉をそのまま借りるのであれば、

”普段より一歩も二歩も踏み込んで話すことになるし、これといった定型文がないので、自分の言葉で説明しなくてはいけません。告白かよ、ってくらいの照れくささだし、時間だってかかるし、伝わらないリスクもある。だからつい私たちは「褒めやすい部分」ばかりを、相手に伝えてしまうのかもしれません。本当に認めてほしいのは、「褒めづらい部分」の方であるにも関わらず。”

でもその照れくささを積み重ねていくうちに、いつか伝えようと思っていたことが伝えられないまま終わってしまうことがある。

その人にとって「必要なとき」に伝えてあげることが出来ず、いなくなってから「伝えればよかった」と後悔する。そんなことが往々にしてある。

私はこの記事を読んでとても考えさせられるものがあった。


明日何が起こるかわからないこの世の中で、今こうやって記事を書いている。そして仕事で人と会うだろう。

いや、それだって確約されているわけではない。

だったら伝えられる時に伝えたいことを伝えるべきなんじゃないか、って。


「ありがとう」とか「大好き」だとか、「あなたのおかげです」とか「応援している」だとか。

普段もしかしたらちょっと照れくさいことも、ちょっと素直になれば伝えられるはず。


もうちょっとだけ素直に生きる。

自分にも自分の大切な人たちに対しても。

その一つが、伝えたい想いを伝えられるときに伝えとく、なのかなと思う。


案の定、今この記事を1月19日の21時にスターバックスで仕上げている。

こうやって今日も無事1日を終えることが出来たことに感謝しながら。

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