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伝える難しさ、面白さ

伝えるって難しいと思う。
でも突き詰めれば面白いと思う。

誰かに何かを教えるとする。
教え方をめちゃくちゃ考えて、話の構成も考えて、
ものすごくわかりやすい説明をしたとしよう。

だけどその説明をする相手が、
日本語のわからない海外の方だったら、
日本語で行った❝超わかりやすい説明❞は、
途端にわけわからない説明に変わる。

この時の解決策って、
よりわかりやすく日本語で説明をすることだろうか。
いや、違う。
「日本語で説明をする」という部分が間違っているから。
だからこの場合は、相手の使う言語で説明をするか、
絵や動作で説明をするのが最善策のように感じる。

誰かにとってはわかりやすい説明でも、
他の誰かにとってはわけのわからない説明になる。
これが伝える難しさでもあり、面白さ。

実際に仕事でもその場面を感じる。

例えば、私が働くところには、脳卒中による後遺症で、
失語症となった方がいる。

失語症というのは、
簡単に言うと病気の発症により言語機能に障害がおこるもので、
「話す」「聞く」「書く」「読む」など人によってその障害があらわれる部分が異なる。

そういう方にとっては、いくら説明が上手かったとしても、
文字量が多いことでかえってストレスとなることがある。
いっそ言葉で説明するよりも、実際にやってみせたり、
動きで示したり、図にして表現したりという伝え方の方が
伝わりやすかったりする。

❝努力の方向性があっているか見誤らない❞

常々意識している考え方だ。

確かに努力ができるということは素晴らしい。
だけど努力をすることに満足しちゃいけない。
努力は手段であり、成果ではない。

「伝える」という行為が、
一番その努力の方向性があっているのか確認できる最高の舞台だと思っている。


好きな言葉を1つ紹介したい。

「人生は配られたカードで勝負するしかないのさ」

スヌーピー

この言葉の本来の意味って、「環境を嘆くより、与えられた環境でできるベストを目指しなさい」ってことだと思う。

だけど加えてこういう捉え方もできると思っていて。
「配られたカードで勝負するしかないのであれば、後天的にカードを増やす努力をしよう」って。

カードが配られるのを待つばかりではなく、自分からカードを作りに行く。
そうすることで必然的に選択肢が増え、今回のケースであれば伝える手段が増える。


一辺倒じゃ全ての人には伝わらない難しさを面白がれる、
伝えられるようになる過程を面白がれる、
そんな人間を目指していきたい。



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