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自然法則へのアプローチ

こんにちは、Ryoです。

今回は、自然科学という学問の中で、実際に何が行われているのか、その方法をご紹介していきたいと思います。

まず、自然科学とは、以前の記事でも紹介しましたが、
「自然界の法則を明らかにする学問」です。

ここでいう、「法則」とは何でしょうか。
自然科学の法則と聞いて、皆さんはどのようなものが思い浮かびますか?

少し難しいかもしれませんが、
・質量保存の法則
・メンデルの法則
・作用・反作用の法則
などは有名なので、聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。

辞書によれば、
「ある物事と他の物事との間に一定の関係があること」
を法則と呼ぶようです。

先ほどの例より、もっと身近なものでは
「溶解度」の法則性は皆さん経験的にも知っているのではないでしょうか。

「溶解度」とは、簡単に言うと、
一定量の液体中に溶かすことのできる物質の量のことを言います。
(※厳密な定義とは異なります)

例えば、皆さんコーヒーを飲むことはありますか?
僕はコーヒーを毎日飲みます。
僕は甘いコーヒーが好きなので、ホットコーヒーを飲む場合は必ず砂糖を入れるのですが、アイスコーヒーには砂糖を入れる人はいないですよね。
なぜでしょうか。

これは簡単ですね。
アイスコーヒーには砂糖が溶けない(溶けにくい)からです。

このように、固体を液体に溶かすときには、液体の温度が高いほど固体を溶かすことのできる量が増える傾向があるようです。

他にも、自然界の法則はたくさんあるのですが、このような法則を、どのようにして探しているのでしょうか。

帰納法と演繹法

法則を探す方法として、帰納法と演繹法というものがあります。

帰納法・・・個々の具体的な事実から、一般的な命題や法則を導き出す方法
演繹法・・・一般的・普遍的な前提から、より個別具体的な結論を得る方法

定義はこのようなものですが、具体例で考えた方が分かりやすいので、以下のような例を考えてみます。
(※分かりやすさのために曖昧な表現を使用します)

(帰納法)
人参は栄養がある。ブロッコリーも栄養がある。トマトもピーマンも栄養がある。他にも、・・・・・・・・・・は栄養がある。
これらは全て、野菜だ。
以上のことから、「野菜には栄養がある」ことが分かった。

(演繹法)
野菜には栄養がある。
玉ねぎは野菜だ。
だから玉ねぎには栄養がある。

このように、
帰納法は、経験的に得た個別・具体的なデータを蓄積し、その結果から、ある普遍的な法則性を見つけ出す方法であるのに対し、
演繹法は、既に確立されている普遍的な法則などの前提を用いて、個別・具体的なものの性質を言い当てるといった方法です。

このような例は、日常の中にもたくさん溢れています。
それは、「偏見」というものです。

「偏見」と聞くと悪いイメージを持つ方が多いかもしれませんが、必ずしもそうではありません。

例えば、人間って聞くとどのようなものを思い浮かべますか?
自分の家族や友達、親戚や学校の先生、テレビで見た有名人など、様々思い浮かべると思います。
これは、今まで見てきた大量のデータを、無意識のうちに分析し、「人間」というカテゴリーを形成し、「人間とはこういうものだ」という普遍的な法則性を自分の中に見出しているからです。
そして、新しい人に会う度に、その法則に従って、「演繹的に」この人は人間だと判断しているわけです。

その証拠に、アンドロイドを見たら、これは人間だとは思わないですよね。
しかし「人間に似ているな」と思います。
これは、これまで経験したものすごく大量のデータを基に、「人間であるための法則」をものすごく複雑な形で見出しているからです。
まだ経験の浅い乳児がアンドロイドを見たら、「これは人間だ」と判断するかもしれないですね。

さて、話が逸れてしまいましたが、
自然科学においても、帰納法と演繹法という道具を用いて、数多くの自然界の法則性を明らかにしてきました。

しかし、帰納法によって一度確立された法則は、絶対的に正しいということはありません。
なぜなら、帰納法では、「それまでに経験した事実」を基にしているに過ぎないため、その後、法則に反する事実が見つかる可能性だって大いにあるからです。

先ほどの野菜の話に戻って考えてみましょう。

(帰納法)
人参は栄養がある。ブロッコリーも栄養がある。トマトもピーマンも栄養がある。他にも、・・・・・・・・・・は栄養がある。
これらは全て、野菜だ。
以上のことから、「野菜には栄養がある」ことが分かった。

このように、多くの野菜に栄養があったという事実から、
「野菜には栄養がある」という普遍的な法則性を導き出しました。

では、キュウリはどうでしょうか。

「栄養がある」の定義はさておき、
キュウリは、その約96%が水分であることが知られており、栄養素は残りの数パーセント程しか含まれていません。

確かに、栄養はあることにはありますが、先ほど導き出されたような、一般的に言う「栄養がある(栄養素がたくさん含まれている)」ということには反していますよね。

このような、法則性に反するものを「例外」あるいは「反例」と言いますが、法則というのは、例外が1つでも見つかると、その普遍性を失います。

たとえ、数億個のデータから帰納的に法則を導き出したとしても、たった1つの例外によって、その法則は法則として成り立たなくなり、
新たにデータを大量に集めて、より制約の強い法則を生み出すことになります。

例えば、野菜の例では、
「赤色や黄色の野菜は栄養が豊富に含まれている」
といったように。

ちなみに、余談ですが、
「緑黄色野菜は栄養が豊富に含まれている」
という言い方をすると、これは法則ではありません。
なぜなら、緑黄色野菜の定義が、
「可食部100gあたりのβカロテン含量が600μg以上の野菜」
となっており、「緑黄色野菜」という言葉自体が、栄養を豊富に含むことを意味しているからです。

さて、以上のように、自然科学においては、
大量の経験的事実から帰納法によって普遍的な法則が導かれ、
演繹によって特殊な事例に当てはめていく過程で例外が見つかり、
さらに多くの経験的事実を集めて、より普遍的で強固な法則を導き出していくといった方法で、自然界の法則を明らかにしようとしています。

だからこそ、自然科学の法則は、日常生活のほとんどの場面でその普遍性を発揮し、誰にとっても疑いようのないものとなっていますが、
逆に、この先の未来で反例が見つかって、今まで当たり前とされてきた法則が覆ることだってあり得るのです。

実は、初めに紹介した、「溶解度」の法則も、普遍的には成り立たないことが分かっています。

確かにほとんどの固体は、液体の温度が高いほど、溶けることのできる量が多くなることが知られているのですが、
かつて校庭のライン引きの粉などとして使われていた消石灰(Ca(OH)₂)という物質は、液体の温度が上がると溶解度が下がることが知られています。

他にも、世の中には当たり前だと思っていた法則に、実は例外があることや、逆にまだ発見されていない法則も、無限に眠っています。

今回の記事で、皆さんが持つ科学のメガネが少しでもクリアーにできたら、僕はこれを書いてよかったなと思います。

科学の世界はまだまだ未知のロマンで溢れています。

自分で法則を見つけたり、
教科書ある法則をに疑って確かめてみたり、
法則が発見された歴史を探究してみるというのも良いかもしれません。

一緒に自然科学の世界を楽しみしょう。

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