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エッセイの読み方

昔は、小説しか読まなかった。
物語の登場人物たちの会話を具体的にどんな顔で、どんな声色で話しているか想像しながら読むのが好きだ。

エッセイを読むようになったきっかけは、Twitterでオードリーの若林さんの本が良かったと感想が呟かれているのを見て、無性に興味が湧いて読み始めた。
読んでみると、自分のことを書かれているような気がして、恥ずかしくも面白く、一気に読み終えてしまった。

エッセイを読むときは、静かな場所で読みたい。
小説は電車でもどこでも、すぐ集中できるけど、エッセイはもう1段階集中のギアを上げないといけない感じ。
だから余裕のある休みの日に読むことが多い。


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いつもエッセイを読む時、ノートとペンを用意する。
何年も前に、姉が海外旅行のお土産にくれたハリーポッターの「忍びの地図」が表紙に描かれた黒いノート。
それから、好きな色ばかり数本のボールペン。

エッセイを読むようになって、好きなフレーズを書き留めておきたいと思った。
共感した言葉や、読んで気持ちが晴れた言葉を自分の手で書くことで、自分の血肉にできる気がしている。


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たまに読み返して元気をもらっている特別なフレーズたちをご紹介。

何でもいいから、自分のやっていて楽しいことを徹底的に書き込んでいった。
“自意識過剰のせいで、自分が本当に楽しいと思うことに気づいていない”という予感がしたからである。
自分の好きなことが分かると、他人の好きなこと(趣味)も尊重できるようになる。
(中略)
自分の生き辛さの原因のほとんどが、他人の否定的な視線への恐怖だった。
その視線を殺すには、まず自分が“他人への否定的な目線”をやめるしかない。

【ナナメの夕暮れ/若林 正恭】


「幸せだって思われたい」、他人から承認されたいという気持ちがあるのは、みんな、自分の選択が正しいのか不安だからだ。女として生きるということは、結婚する、しない、子供を持つ、持たない、仕事を続ける、辞める、といった選択肢の中から自分の道を選ぶということだ。そして、人生に付随する無数の選択を日常的にするということだ。誰だって、自分の選んだ道は間違っていなかったのだと思いたい。だからきっと、他者からの承認を求めてしまうのだろう。
(中略)
「幸福は、瞬間的に感じるもので、継続的な状態ではない」
それでも人間は、「継続的な幸せ」が可能であるという幻想を抱くし、それを目指して葛藤する。幸せとは、何かいいことがあったとき、美しいものに出会ったときに、瞬間的に感じる気持ちのことである。継続的な幸せなんてないのだと受け入れることができたら、他者からの承認欲求から解放されるのかもしれない。

【ピンヒールははかない/佐久間 裕美子】


スランプの報酬は、「自分にちゃんと向き合った自分」になっているということ。前より、自分と仲良くなっているということ。これ、すごい贈り物だと思いませんか?
スランプの贈り物。
そして自分にとって大切なものは何か、気づく。その何かが、自分を救ってくれるから。
結局のところ、自分次第だ。私はいつも、そう思う。
何もかも、「わたし」の人生は「わたし」から始まる。自分を否定する心からは、何も生まれない。そして、自分と仲良くなれば、他人の気持ちも分かる。
…そういうことを私は、スランプから学んだ。

【天然日和/石田 ゆり子】

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