Vol.2 原点
「プロサッカー選手になりたい!」子供の頃から何度も口にしました。
でも、それはどこかぼんやりとしたもので、サッカー以外に興味がなかったからなりたいと思っていました。
今回は、絶対になってやるという気持ちが生まれた、プロを目指し始めた原点について綴ります。
サッカー漬けの日々
高校時代、僕は毎朝5時に起き、絶対自主練をして、学校→部活→その後また自主練をして、家に帰る。
帰宅時間は22時を過ぎることがほとんどで、そこから夕飯を食べて風呂に入って、宿題をして寝るという生活でした。
睡眠時間が3〜5時間くらいしか取れていなかったので、ずっと眠かったです。
1日に5〜6時間トレーニングしてたので、今考えるとオーバーワークだったかも。
でも、その甲斐あって高校一年生の頃の僕は、上級生と一緒にプレーさせてもらう機会に恵まれていました。
大怪我
そんな日々を半年ほど過ごした時、大事件が起きます。
練習試合で相手との接触により、右膝の後十字靱帯を断裂してしまいます。
接触時は「痛いけどまぁいけるか」という感じでしたが、一応交代しました。
そして試合後も普通に自転車で帰りましたが、帰宅後、風呂に入る時に膝を見たら青紫色で、腫れて倍くらいの大きさになっていました。
夜遅くて病院は閉まっていたので、次の日病院に行って検査をした結果、内側側副靱帯損傷と後十字靭帯断裂でした。
「いや、こんだけ腫れてたら靭帯切れてるやろ」と思っていたので、特に驚きもしませんでした。
むしろ「前十字靭帯じゃなくてよかった〜」という安堵の方が大きかったです。
サッカーは当分できないので、今できることをやろうと思い、リハビリと今までやってこなかった筋トレに励みましたが、結局復帰まで約1年かかりました。
復帰後も思うようにプレーできず、ベンチを温める日々が続いて、精神的にもきつかったです。
高校最後の大会
そして迎えた高校最後の大会。対戦相手は強豪の市立船橋高校。
「俺より練習してるやつおらんやろ」という気持ちと、夏の大会で途中出場から、山梨学院相手に決勝点を取って勝利した経験があったので、20分あれば試合を変えられる自信がありました。
そして後半20分、僕は監督に「俺を使ってください」と直接お願いしに行きました。
しかし、監督は拒否して他の選手を選び、試合はそのまま市船に敗れました。
決意
試合後、「なんで使ってくれなかったんですか?」と監督に尋ねると、彼の返答は「ごめん」の一言だけでした。
今まで積み重ねてきた努力が発揮できなかった悔しさと、一言で片付けられた怒りが混ざり合い、涙が溢れてきました。
それと同時に「このままじゃ終われない。俺を使わなかったことを後悔させてやる。」という強い感情が湧き上がり、絶対にプロになって見返してやると決めました。
これが、僕が本気でプロを目指すきっかけになった原点です。
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