老害の言い訳

「若いなぁ」

老害はこの言葉をよく使う印象がある。

個人的に「才能がある」と似た様な印象を抱いている。

イキった人だと大学生が高校生に向かって「若っ!」と言い始める。

まぁ実際年齢は若いんだけど、そう言う発言には大抵自分が上の立場である事や、が故に身体的能力の低さを相手にそれとなく伝える意味合いがある様に感じている。
大学生あたりはノリくらいの感覚で使うのかもしれないけれど。

才能も同じ。
純粋な褒め言葉として「才能がある」と言う言葉は日常生活ではあまり聞かない様に思う。
底辺の周りには底辺のやつしか集まらない事が多いし、人間は自分は他人より優秀だと信じているからだ。
その多くは自分の手の届かない人に向かって才能があるからと言い、自分を正当化する目的で使っている印象がある。

まぁ信じたくない気持ちはわかるけど、世の中平等でないと言う事以外不平等だし、特定の分野に対する才能はあるだろう。

数学が得意と言う長所を持つ人の中でも、より得意な人、得意な人の中では出来ない人だっているだろう。同じトレーニングをしても全く同じ効果はでないだろう。

だから間違いなく才能はある。
でも、だからってトレーニングで自分が成長しないわけではない。
効果に差はあるだろうけど、自分に合ったトレーニングをすれば能力は伸びる。

だから他人を才能だ、才能だと称賛の気持ちなく言う人達は何かに真剣に向き合った事がない様に感じてしまう。
才能だと言ってしまえば、簡単に諦められるからだ。
ただ、諦める事が悪い選択って言いたい訳じゃない。
諦めなかったら成功するとも限らないしそんなのは結果論だ。
でも才能を言い訳にする人間は、何にも頑張れないし、挑戦している人を馬鹿にもする。
才能がないから頑張れないなら多分ほぼ全ての人間が何も頑張れなくなる。
やっても意味ないんだからね。

僕は「若い」と言う言葉にもそう言うものを感じていて、大学生は高校生に若いと言うし、新卒の会社員は大学生に若いと言う。
会社の上司は新人に若いと言い、お年寄りになると大抵の他人が若くなる。

そして、その言葉は
若いから体が動く。
若いから物覚えがいい。
若いからなんでも挑戦できる。
若いから人生楽しい。
と言う意味が含まれている様に感じる。
若さという言葉を使って自分の怠惰の言い訳にしている。

才能と同じで、体は老化するのだから能力の落ちていく部分はあるだろう。

でも50歳60歳、或いはそれより上でも20代より身体能力が高い人がいるのも事実だ。

若いからと言ってしまえば簡単だ。

でもそれは普段から運動習慣をつけ食事や、休息の取り方を考えたりしなかった、自分の能力を高める努力をしてこなかった事が原因の一つだとは考えないのだろうか。

いや、考えたくないから若さや才能を言い訳にする。

自分で言うのもだけど僕は記憶力がない。
物覚えが実に悪い。
でも悪い僕が能力の100%を出せれば、多少僕より記憶力がいい人の80%と同等に戦える。
そして、大抵の人は生活習慣や記憶を定着させる技術がよくないがために100%をだせていない。
それを自分で気づいてもいない。

だから才能がある様に見える人が、どの様にしてその才能を引き出しているのかを考えようともしない。

ただ才能という生まれ持ったものだけで勝負していると思い込もうとしている。
だから他人があなたの見ていない所で努力しているとは考えもしない。

そう言う人間が実に多い。
努力すれば絶対に成功すると謳う、意識高い系も好きじゃないけれど、才能だの若いだのと言う言葉だけで片付ける老害にとやかく言われたくないと思うのはおかしいだろうか。

老害っていうのは年齢の事だとは思はない。
年齢に限らずそう言う思考や行動に陥っている人間こそが老害だと思いました。



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