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賛否両論のトイ・ストーリー4をようやく観たお話。

トイ・ストーリー4をようやく観ました。

感想なのでネタバリ有りです!!!

以前3は感動しながら見た記憶が残っているのですが4は賛否が分かれていた事もあり観よう観ようとしながらもなんとなく観ずいました。

賛否が分かれるという前情報があったので最後どうなるのか想像がつきつつの視聴になりましたが面白かったです。

3が感動的な物語として素晴らしい出来であったため同じ期待値を求めて視聴したファンの方々は困惑してしまった所があるのかもしれません。

ピクサーはディズニーの子会社になった事もありディズニーとしての印象が強く万人にとってのハッピーエンドが望まれてたのかもしれません。

僕はピクサーの作品が好きですが、好きな理由は、多くの作品が物語を語るなかピクサーは語るべき事を物語にしているという所です。

もっと言えばピクサーが語りたい事でしょうか。

これは僕の解釈ですし実際はそうではないのかもしれませんが僕はそう感じています。

今回の場合物語としてみた時やはり仲間たちと合流してハッピーエンドが望まれるのでしょう。

トイ・ストーリーは名前の通りオモチャの物語ですが、このオモチャ達は自分達の意思を持っています。

そこが面白い設定なのですがこの意思を持ったオモチャ達は僕たち人間と何が違うでしょうか?

全く違うと言えば違います。

ですがピクサーの作る物語は意思を持ったモノ達が何であろうと僕たちを感動させたり考えさせたりしてきます。

これは人間が作り出したもので共感出来るモノだからではないでしょうか。

共感と言ってしまうと同じ気持ちになるという言葉ですが、恐らく実際の所全くもって同じ気持ちになる事が出来る人間はいないでしょう。

同じことでも真逆の反応をする人もいれば大枠では悲しいと同じ気持ちでも度合いや細かな部分が違ったり。

遺伝子や環境、状況によって多種多様でしょう。

今回は物語としてみるか、ピクサーか語っている事として見るかで視聴者の評価に違いが生まれたのかもしれません。

オモチャというものは子供に遊ばれるものでそれがおもちゃにとっての幸せだという概念がウッディーを中心に描かれていますが、そこに現れたのがボーと言う所有者のいないオモチャ。

しかしそのボーは所有者が居なくとも幸せそうです。ついでにかわいいです。

そして所有者の子供に遊ばれる事が幸せだと考えるウッディーはボニーに遊んでもらえず存在意義が分からなくなっていました。

これは人間と通ずる所ではないでしょうか。

母と父の元で生まれ小中高大と学校に行き、就職し、男と女が結婚し、子供を作り…と他にも色々ありますが

これが正解だと言う概念。

正解だと話していなくとも殆どの人がそのレールの上を進んでいます。

概念と言うと固いですが普通の、ごく一般的な人の人生のざっくりとしたもの。

普通と言うのはつまるところ、統計上多いという言い換えだと考えています。

社会的証明という心理学用語がありますが、凄くざっくり言うとみんながそうだからそうするです。

これは殆ど無意識の判断なので特に意識していませんが、現代においては幸せも色々な形を見せてきて居ますがやはり結婚する事が正しい(幸せ)、就職する事が正しい(幸せ)だという概念は強く刻まれているのではないでしょうか。

ここで重要なのが結婚する事が間違っている、就職する事が間違っているではないという事。

これは僕の予想なので参考にならないかもしれませんが、社会的証明は恐らく進化心理学的には原始の時代、群の中で逸脱し過ぎていると和を乱すものとして危険因子となったため同じ概念を持つようになっていったり、大事な決断で主観的なデータだけに頼らない様にするための性質なのではないかなと考えています。

結果幸せになるための手段だった行為が現代では行為自体が幸せだという認識になってしまいました。

しかしそれぞれの生き方を自分の意思で見出せる現代において必ずしも個にとって正しいとは限りません。

それを物語にのせて語ったのがトイ・ストーリー4であると僕は思いました。

フォーキーは自分をゴミだと認識していましたし、殆どの人にとっては確かにゴミでしょう。

しかしボニーにとっては凄く大切なもので必要とされていました。

作品でフォーキーは自分をゴミとして以外の存在意義を見出す事が出来ました。

仲間と合流すればハッピーだという概念は視聴者の気持ちであり、ウッディーの気持ちではありません。

ウッディーだって仲間と別れるのは辛いし正しいか正しくないかなんて分からないでしょう。

しかしこのまま戻っても恐らく待っているのはボニーに遊んでもらえず埃を被る日々。

人間には現状を維持しようという現状維持バイアスというバイアスがあります。良くも悪くも変化を嫌います。

選ばれなかったらと怖がるギャビーを連れ出す際にウッディーが話した「でも、棚に座ってたら何も変わらないだろ?」という言葉は自分自身への言葉にもなっているのではないでしょうか。

単なる物語以上の作品を作るピクサーだからこその結末だと感じました。

凄く美味しい食べ物であっても、凄く美味しいチョコだという期待で食べたものが凄く美味しいマグロだった時、多くの人が恐らく困惑する様にトイ・ストーリー4はギャップにより評価の分かれた作品なのでしょう。

ラストシーンでボニーが新たに作ったオモチャとフォーキーが出会うシーンで

 ”How am I alive?”

(「私なぜ生きてるの?」と訳されている)

という問いに対して

”I don’t no.”

(「さあ、なぜかな…」と訳されている)

とゴミから作られたオモチャであるフォーキーが答えを明確にしない事が物語の中でオモチャ達が選んだ個の選択への答えでになっているような、そんな気がしました。

次トイ・ストーリー5があったらどんなお話になるのでしょうか。

ウッディーの自ら選んだ選択の中にもやはり苦労があり、幸せは雲隠れする。

無限の彼方という可能性で満ちているのに身動きが取れない変化の激しい世界でのお話…なんてな!!笑

もっとスッゴイやつ語ってくれるはずや!!

という事でトイ・ストーリー4の感想でした!












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