誰もケツ毛なんて教えてくれなかった
思春期の頃の自分に思いを巡らせると、当時の肉体の緩やかな変化への戸惑いや、己の無知を思い出す。
もちろん保健の授業では、思春期を迎えるとより男らしく、より女らしく身体の色々な部分が発達していくというのを学んだ。
例えば、陰毛。これは大人になると生えてくる体毛の代表格ともいえるものだ。だから僕は自分の股間にカールした毛が生えているのを初めて見た時、それが何なのかがわかった。脇毛もそうだ。学んでいたからそれがわかった。すね毛も、声変わりも、ニキビも、みんな教科書に載っていた。
しかし、それで全てだろうか? 世の紳士諸君に伺いたい。
確かに保健の教科書では、肉体的、精神的、そして性的な変化について列挙するが如く(遠まわしながらも)説明されていた。
だが、それが全て説明していただろうか?
答えは、否である。教科書には少なからず不足があった。
教科書に載っていない、すなわち大多数に共有されていない思春期の変化については、個人的に確実に存在すると考えている。
本記事では自身の経験と、これまで身の回りで聞いた話を踏まえながら、思い出せる限り、あの頃の身体的な変化を記したい。これが思春期の少年への偏見や誤解、不安を払拭する材料となることを願う。
①ケツ毛
表題の通りである。「尻に生える毛」である。
「ケツ毛」という言葉は知っていた。だが生えた時、僕はそれが何なのかわからなかった。
なぜか?
尻表面ではなく、肛門周囲に生えていたからである。
この誤謬については、言語的な要因も深く関係しているだろう。普通「ケツ」と聞いたら、僕は尻を想像する。ケツ=尻であるはずだ。
しかし「ケツ毛」で言うところの「ケツ」は違う。「肛門」である。このさり気ない言葉の援用が、僕に誤解を与えた。だって「ケツの穴」が肛門を意味するなら、それは「肛門の穴」って意味になるじゃん。肛門は穴以外ねえよ。居酒屋で「鳥皮の皮ください」って言わねえだろ。
しかし、だ。意味が分からない。なぜ肛門周囲に毛が生える? 体毛は身体の急所に生えると聞いたことがある。肛門は急所なのか? 何から守るんだ? 閉じれば良いだろ、穴を、毛じゃなくて。そのポテンシャルは頭皮で生かせよ。こちとら、下痢した時は大変なんだわ。
②乳首のしこり
女子ほどではないだろうが、男は思春期になると乳首が張る。ちょっと気になるくらいに。
指でつまむと、乳首の奥、根っこのあたりに、パチンコ玉が入っているのかというくらい硬いしこりができる。強くつまむと鈍痛がする。僕の場合は左右で大きさも硬さも、できるタイミングも違っていた。
一番恐ろしいのは、これは病気なんじゃないかという疑念が浮かぶことである。「男性もごくまれに乳がんになる」とよく言われるが、心が不安定な時期にそんなことを知ってしまったら、不安になるのは当然だろう。
幸い、しこりは成長するにつれ自然に消えていった。これが思春期特有のものであると知ったのは、もっと先になってからである。
個人差は当然あるだろうが、そういう変化があるということをもっと周知することで、安心に繋がる少年は大勢いるだろう。問題は切実だ。
③おねしょ
思春期との関係性は若干グレーかもしれないが、ある時期から頻繁におねしょをするようになる。ずっと幼い頃に克服したはずなのに、なぜか再開するのである。そして、いつの間にかまた治まる。
これは個人的な想像でしかないのだが、やはり下半身の分泌系の機能が発達するようになると、排尿に関しても何らかの影響を及ぼすのではないかと思う。研究者にはぜひ詳しく調べていただきたい。
しかし何より嫌なのが、その恥ずかしさである。それなりにいい年こいたのに、お母さんにびしゃびしゃの布団を洗ってもらうのは屈辱的だ。兄弟からも馬鹿にされる。
なので、僕はおねしょで深夜に起きた時は、親に見つからないよう一人で洗濯機を回した。その経験がなかったら、僕は洗濯機すら使えない人間に成長したかもしれない。これに関しては吉に転じたものだと思う。
④夢精の実在性
これに関しては、不足というより過剰ではないだろうか。
教科書ではやたらと夢精について扱われる。要は朝起きたらパンツの中に白くてネバネバの臭いのがあるが、病気ではないので安心してください、という内容である。
しかし、よく考えてみて欲しい。
そもそも普通に性的な興奮と刺激からなる射精についてまともに扱わないくせに、なぜ反射的に生ずるレアケースを最初に取り上げるのだろうか?
夢精なんていうのは上で記したものと比べれば、限りなく珍しい現象であって、あれほど強調して紹介する必要性はない、というか、僕は夢精したことがない。してみたい。羨ましい。
終わりに
頑張ってひねり出してみたが、結局こんぐらいで落ち着いてしまった。
正直、思春期にも個人差があるので、単に僕の個人的なものを述べたに過ぎないのかもしれないし、逆に僕が知らないような変化が実は共有されているのかもしれない。誰もこの4つに共感できなかったら、バカみたいな記事である。
ただ断じて言えるのは、抽象的で不安や悩みの解決には一切ならないであろう、現在の日本の性教育には欠陥があるということだ。将来、僕のような人間が存在しないような社会であって欲しい、と上から目線ながらに想う。