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【コラム】「推せない人」だっている

今日も一日お疲れ様です。
今回は「推し活」についての話題です。

「推し活」となんだか大袈裟に括ってしまったが、これはどんなに些細なことであっても構わない。YouTubeやTwitchのフォローであったり、Xのフォローであったり、現代社会にはどんなに低いハードルからであろうと「推す」ためのスタートラインはいくつも設定されている。

本題として話していきたいのは、私のどうしようもない性質についての話。
タイトルにもあるが、私は「推し活ができない」のだ。これは例えば私の好きな漫画「サカモトデイズ」の虎丸ちゃんのような子を否定するつもりも、そんな虎丸ちゃんに真冬が放った、シンに殴られるような言葉を肯定するつもりもない。

出典:SAKAMOTO DAYS 8巻:鈴木裕斗/集英社

ここでいう私の「推し活ができない」とは何を指しているのか。
サカモトデイズは大好きだし作者の鈴木裕斗先生の事も尊敬している。しかし、(単行本勢なのでネタバレを踏みたくないのもあるけど)先生のXをフォローしたり、単行本の購入以上の事は一切していない。というのも、「作品が好き」=「作者さんをもっと知りたい」となるほど、作者に向けるだけの情熱を持ち合わせていないのだ。それどころかむしろ嫌いになるリスクも抱えている。(逆に?印象が爆上がりしたのは、彼岸島の松本光司先生だろうか)

他人への興味関心が欠如している

興味関心の向け方が極端というのは、発達障害の症状の一つとしてあるらしい。実際私は、少なからず「ADHD」や「ASD」の要素を持ち合わせていると思う。
Xのフォロー、Xの使い方一つとっても、私は「うーんなんか違うな…リムるか」となる事が非常に多い。「コンテンツ等、その人が発信する何かしらに惚れてフォローする(ここでは、FF関係になる人ではなく一方的にフォローすることになるような著名人であったりを指す。)」訳なのだが、「日常の愚痴」や「仕事の宣伝」等の自分が別に見たくないモノが入ってくるとたちまち「なんかイメージと違ったな…この人はいいや」と直ぐに飽きてしまう。(ミュートだのこいつヤバだののヤジは胸にしまっていただけるとありがたい)

もうここまででだいぶ私の「現代人(若者)としての異質さ」に気持ち悪さを覚えてブラバした人もいるだろうが、どうかこの可哀想な男の一人語りにもう少しだけ付き合ってほしい。

生まれてこの方、「数パーセントでも自分の人生を他人に捧げる」という事をしたことがない。

例えば音楽はほぼ毎日聴くけど傾倒しているジャンルやバンドはいないし、ライブに行ったことも一度もない。

エロ同人が大好きだけど作家さんを直接応援している訳でもなければコミケ等のイベントに(アルバイトでも)参加しようとした事も一度もない。行ってみたいという感情はある

初めての風俗店が刺激的な体験でこれからも何回も行きたいくらいには関心があるけど、嬢と人生最高のセックスが出来たとして最高の賢者タイムに「インスタとXやってるからフォローしてね〜♡」なんて言われてもしたくない。可愛い自撮りとか出勤報告とか生活のワンシーンだとか、「興味が無い」と一蹴するものではないけど、毎日見たいものでもない。いずれリムるだろうなと考えてもやっぱりフォローはできない。

FF、ペルソナ等何百時間もやる程ハマったゲームシリーズは沢山あるが、ゲーム会社のフォローや一番好きなキャラクターの声を務めた声優さんのフォローもしない。

ここでちょうど私の言うところの「好きな声優」とはどういう意味なのか例に挙げてみよう。


その定義は、「好きな声を出す人」「めちゃくちゃ好きなキャラクターの声を当てている人」である。
これだけでは「ん?どういうこと?」となるかもしれない。補足すると
「声・演技」と「声優さん(人間)」は完全に別枠で考えており、声優さんがどんな人で何をしてるかなど私には全く関心がないのだ。つまり𓏸𓏸さんが好きというのはその声と演技の部分しか評価していないのだ。
「異性関係で多少だらしなくてもいい」「歌って踊る活動をしているのに顔が可愛くなくたっていい」というポジティブな見方をしている訳ではないのだ。そんな要素どうだっていい。評価点は「好みの声・演技をしているか」ただそれだけである。

「推し」の対象が声優さんだという方々には今の話はどう映ったのだろうか。「あまりにも失礼。声優業へのリスペクトが一切ない」か、あるいは「腑に落ちた。声優業の評価のされ方はこうあるべき」だろうか。肯定されたくて意見を発している訳でも、ファンの方々を攻撃・否定するためでもないため「こういう考え方もあるのだな」程度に留めておいてほしい。

わかりやすい例えとして私自身が「名前には」詳しいので声優さんを挙げさせてもらったが、YouTubeやニコ動の動画投稿者だってそう。(仮名)ハチワレチャンネルという、結月ゆかり実況をしているチャンネルがあるとする。私はハチワレチャンネルさんの「ギークな小ネタ」や「細かい編集へのこだわり」といった部分を尊敬し、チャンネル登録とフォローをすることに。
しかしXの投稿を見るとどうだ。その内容からは「ハチワレチャンネル」を感じ取ることなど出来ない。言葉の節々や内容から、この投稿の主が(仮名。どうせなのでハチワレ役の子役さんの名前をお借りします。)田中誠人3𓏸歳である事が嫌でも見えてくるのだ。
動画に関する以外の投稿では仕事の愚痴や、その人が「推している」アカウントのリポスト等々(この内容もまた、「ちょっと趣味が合わないな…」となるモノだったりする)

…つまり何が言いたいのかよく分からなくなってしまったが、こうした匿名のコンテンツ提供者の「リアルな人間部分」を見てしまった時が「推すのをやめる」瞬間である。
念の為言っておくと、結月ゆかりみたいな美少女だと思ってたのにおっさんだったふざけんな!なんてメルヘンチックな思考は持ち合わせていないのでご安心を。

かくいう私も動画投稿者の端くれであり、まともに実ってはいないが「誠実な態度」でXを利用することを心がけている。(実践出来ているかどうかは置いておいて)
結月ゆかり投稿者=結月ゆかりではない事は当たり前でありそんなことを考える人は98%いないと思う。だがしかし、概要欄はともかく動画内では「結月ゆかりとして、なりきって」出演しコンテンツを発信している以上「低めの物腰で、とても丁寧で誠実な人」というイメージが形成される事は自然で何もおかしくない事だと私は考えている。
どういう形であれ、ほぼ完全匿名で活動する(私がフォローしている数少ない配信者の「加藤純一さん」と「布団ちゃんさん」のような分類の方々は除く)以上、「アカウントイメージを守る」「あなたの中の人田中誠人を表に出さない」と心がけるべきなのでは?というのは非常におこがましいことなのだろうか。

これは完全匿名のコンテンツ提供者様達の支持のされ方から、私の意見は「マイノリティ」どころか非常にウケが悪いと思う。
「自我」を出しているからこそその人となりが知れてもっと好きになるという一人のファンがいる一方、「ハチワレチャンネル」と「ハチワレさんの提供するコンテンツ」にしか興味が無い私のような人間は、「リプ欄等と自身の温度差」に居心地の悪さを覚え、去っていくことになる。

なぜ「普通の人たち」は他人の人生に情熱を捧ぐことができるのか


私はこの答えが本当にわからない。否定したり、嘲ったり、腐っているわけではない。自分が持ち合わせていないものを持っているのが羨ましい。

なぜ自分は「ゲームで本気で落としにいったヒロイン」と同じ情熱を向けられないのだろう。

「推し活」を人生のモチベーションとする人がいる中、「推せない人」だっているのだ。

「推し活」をしている人に比べたら私のような「推せない人」は少ないのかもしれない。もしかしたらこのnoteが同類に届く機会は一生無いのかもしれない。
それでも、「珍しい形のマイノリティであることに苦しいんでいる人もいる」という事を、どうか知って欲しい。

ここまでご覧いただき誠にありがとうございました。フォローやスキを頂けるととても嬉しいです。


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