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2-6.オランダとイギリスの争い

ほぼ同時期にアジアの海へ進出し始めた両国ですが、当然ライバル関係となります。また、従来そこを席巻していたポルトガル、スペインとも争わなくてはなりません。これはアジアの海を舞台に激しくぶつかり合います。

オランダ東インド会社のアジアへの初航海

オランダ東インド会社としての初航海は1603年、12隻が出港しています。この船隊には、ポルトガルの支配拠点への攻撃命令がでており、ライバルであるポルトガルを駆逐することがこの会社の目標のひとつになっていました。そしてその命令通り、インド洋海岸域から南シナ海に設けられていたポルトガルの拠点を奪っていくのです。オランダの東南アジアの拠点となったのが、バンテン王国のバタヴィア(現インドネシアのジャカルタ)で、ライバルであったイギリスとの争いで奪い取ったものです(1619)。新参者オランダも、ポルトガル以上に暴力的でした。1621年のバンダ島(現インドネシア共和国、モルッカ諸島の一部)で、1500名の島民全てを殺害、あるいは奴隷化した事件は、現地で「バンダの殺戮者」として当時のバタビア総督ヤン・クーンの名が、今なお記憶にとどめられているといいます(出所:「東インド/羽田」P97)。貿易を独占するために、オランダ船以外のヨーロッパ船の寄港を禁じることをその港の支配王朝に求め、それに応じない王朝を次々に滅ぼしていきました。ポルトガルの重要拠点であったマラッカも1641年に奪っています。

このころは、オランダがイギリスに対して、船団数で圧倒的に優位であり(両会社の資本力の差であった)、ポルトガルを東南アジア海域から駆逐したあとを巡っての争いは、オランダが常に優位でした。また、アジアの海域だけでなく、「新大陸」とされたアメリカでもこの両者は激しく争うようになり、アジアではオランダ優位、アメリカ大陸ではイギリス優位であったといいでしょう。1623年にはアンボイナ島(現インドネシア共和国、モルッカ諸島の一部)に設けられていたイギリス東インド会社の商館員、日本人傭兵9名らが、オランダにより処刑されるなどの事件がおこります。イギリスはこの事件を契機に、東南アジアからインドへと重点を移していくようになります。

イギリス、インドへ

インドにはポルトガルやオランダ東インド会社もそれぞれ拠点を確保しており、イギリスも同様に拠点を確保する必要がありました。イギリスは1638年に、インド東岸域のマドラス(現チェンナイ)を治めていた有力豪族から破格の条件でマドラスの港に拠点を確保することに成功します。何が破格かといえば、イギリス(正確にいえばイギリス東インド会社)は、どこでも好きな場所に要塞を建設できる、しかもその費用は最初はこちらで支払う、マドラス港での関税は半々にする、貸した土地内での統治権を認めるといった内容です(出所:「東インド/羽田」P197)。

これを受けてイギリスが建設したのが「セントジョージ要塞」(現在は博物館となっている)で、そこには軍隊も駐留していました。当時のアジアのもう一つの大国である明朝中国が、基本的には拠点の建設を認めなかった(軍隊の駐留などもっての他だった)のと異なり、インドではこういったケースが多いのです。インドの王朝、あるいは有力豪族はイギリスを含むヨーロッパ諸国の軍事力に屈したわけではなく、彼らが欲しがる海岸域の拠点など、簡単にいえば「眼中」になかったのです。だから、ヨーロッパ諸国は実に簡単に拠点を建設できたのでした。

もちろん、現地王朝はイギリス東インド会社の軍事力を自らの勢力維持、拡大に利用しようとも考えていたので、ギブアンドテイクの関係でもあったのですが、それがのちにイギリスの植民地にされてしまう原因のひとつでした。

イギリスが目をつけたインドの綿製品

さて、そこでイギリスが目をつけたのがインド産の綿織物(「キャラコ」として知られる)でした。インド産のそれは、東南アジアで非常に人気があり、香辛料との交換手段としても使われていたものでした。それをイギリス本国へ持ち帰り、本国での需要創出を目指したのです。これは大成功、つまりイギリス東インド会社に莫大な利益をもたらすことになります。と同時に、イギリス本国だけでなく、ヨーロッパの多くの国々の織物業者を破滅的な危機へ追い込んでいくことなっていき、多くの国々からイギリス東インド会社を呪う声があがりました。同社では、1660年代後半からの100年間、アジアからの輸入の3分の2がインド木綿を中心とする織物(絹織物も含む)で占められたといいます
出所:「日本文明と近代西洋/川勝平太」P43)。

そして、そののちにイギリスの綿織物の工業化、大量生産化(これがのちに「産業革命」とよばれる)が始まり、今度はインドの織物業者を壊滅的なところにまで追い落とすことになっていきます。イギリスの逆襲ですが、それはまだまだ先のことです。


続く

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