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1-1.ヨーロッパより圧倒的に豊かだったアジア

「世界経済は、圧倒的にアジアに基礎を置いていた。ヴェネツィアやジェノヴァの経済企業もしかりであり、その成功の基礎もやはりアジアにあった。両都市はともに、アジアの豊かさと、まさにそれを求めるヨーロッパの需要との間に立って媒介する立場から、その富を引き出していたからである。黒海からレヴァントを経由してエジプトへ至る、アジア交易の西の終点にあたる西アジアでの彼らの交易は、大西洋へのヨーロッパ拡大の先駆けでもあったのである。その拡大は最終的にそこから下ってアフリカを周航してインドへ、およびそこを横切って両アメリカ大陸へ至ったが、それらはともにアジアを目指していたのである。1492年のコロンブスの航海および、一四九八年のヴァスコ・ダ・ガマの航海の理由については、長い間論争が戦わされている。これらの出来事は偶発事ではない。結局のところコロンブスは、東アジアの市場と黄金を求めて行ったがゆえに、アメリカを「発見」したのである。」(「リオリエント」アンドレ・グンダー・フランク著/山下範久訳P136)

16〜19世紀初頭まではヨーロッパの2〜3倍の経済規模

かつてヨーロッパは貧しい地域でした。にわかに信じることが難しいかも知れませんが、19世紀初頭までは、ヨーロッパよりもアジアの方が圧倒的に経済力のあった地域だったのです。ここでいう「アジア」とは、ユーラシア大陸の東から中央を含めた広義のアジアのことです。ちょうど、サッカーワールドカップの日本が参加する地区と考えてください。アジア・オセアニア地区のオセアニアを除いた地域です。

アンガス・マディソン氏(イギリスの経済学者。フローニンゲン大学名誉教授。経済史、経済発展論専攻)の推計による16〜19世紀の世界全体のGDPの構成比をみると、ヨーロッパのそれはアジアの三分の一程度しかありません。19世紀(1820)になっても、アジアの占める割合は59%、対してヨーロッパは27%で、アジアはヨーロッパの二倍の規模でした。同推計によれば、アジアとヨーロッパの経済力の差は、西暦1000年では六倍もの差があったとされています。1870年になってヨーロッパはアジアと同規模になり、1900年にようやくヨーロッパがアジアの1.5倍と逆転するのです。ちなみに、その全期間にわたって、アジアの牽引役は今のインドと中国で、その両者で8割を占めていました。

続く

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