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7-3.日本へ向けた準備

大統領からの重大命令

フィルモア大統領はペリーに対して重大な命令を出していました。それは「発砲厳禁」という命令です。「艦船及び乗員を保護するための自衛、および提督自身もしくは乗員に加えられる暴力への報復以外は、軍事力に訴えてはならない」(出所:「幕末外交と開国/加藤祐三」P71、以降「幕末外交」)。という命令を出していたのです。アメリカでは大統領に宣戦布告の権限がなく、それは議会にのみありました。議会内での与党ホイッグ党(のちの共和党)は少数派であり、多数派を占める民主党も分裂状態。この時は、新たな領土となったカリフォルニア、オレゴンをはじめとする連邦編入問題で議会、世論は沸騰しており、対外問題に関心をよせるどころではありませんでした。本来ならば、まずは「内政」をとしたかったでしょう。

イギリスへの対抗心

しかし、その時期にあえて日本への派遣を決定したのには、もちろん理由があります。それはイギリスへの対抗からでした。前述(「6-8.向かう先は日本」)したように、アメリカには東海岸からメキシコ湾、そしてパナマ地峡を陸路で繋ぎ、西海岸と結ぶ航路(郵便と人・ものを運ぶ)計画があり、それは大陸横断鉄道の整備と並行して、緊急に確立しなければならない通信・交通網でした。そしてその延長線上に太平洋横断の郵船航路構想があったのです。

その頃すでにイギリスはP&O社(The Peninsular and Oriental Steam Navigation Co.)によって、イギリスからジブラルタル海峡を抜けて地中海に入り、スエズ(エジプト)を陸路通過してインド、シンガポール、香港、上海、そしてシンガポールから南下するオーストラリア航路を持っていました。同社もその延長として太平洋横断航路を構想していたのです(出所:「幕末」P57)。アメリカは、太平洋横断航路をイギリスに先を越されてはならないと急いだと考えられます。

※P&O社は1822年創業。航路は徐々に増やされ、1840年からのアヘン戦争時に大量の兵士や物資を運び莫大な利益をあげている。

日本へ向けての準備

ペリーは軍事力の行使が許されないなら、巨大な艦船を誇示することで交渉を有利に進めたいと考えました。彼は、任務にあたっての条件として12隻からなる艦隊編成を条件としたのです。方向を自在に変えることができる蒸気軍艦は必須でした。また、日本への土産も慎重に選びました。進んだ自国の産業力を誇示する必要からです。彼が選んだのは、蒸気機関車の4分の1の模型、貨車と客車、2キロのレール、他には作物の種子や農機具なども準備しました(出所:「幕末外交」P71〜72)。

また、日本との交渉に使用する言語としては、アメリカ出国前に英語をあきらめています。これまで欧米諸国は清朝中国との交渉では漢文以外使用できておらず、日本も英語は理解不能として交渉自体を拒否されるのではないかと恐れたからす。オランダ語での交渉は可能であることはわかっていましたが、オランダ語を交渉言語とすると、アメリカはオランダの後塵を拝すると誤解されかねない、そうすると自らに与えられた任務を遂行できないとして、結局は日本語を交渉言語の第一候補として出航するのです。

通訳は、当時アメリカ対外布教協会の宣教師として広東に在住していたサミュエル・ウィリアムズをその第一候補としました。ウィリアムズは、1833年以来、中国にある「アメリカン・ボード(アメリカ伝道評議会)」の出版部に勤務していた宣教師(プロテスタント)でした。ペリーは彼なら日本語の通訳ができるだろうと考えたわけです。

続く





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