社会福祉振興・試験センターの社会福祉士・精神保健福祉士の海外調査研修・派遣事業でロサンゼルスに1ヶ月行った話(出発まで)
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ソーシャルワーカーとしてお仕事をしてきている中で、思い出深いものの一つがこちらです。
2015年1月、約1か月間カリフォルニア州のロサンゼルスに滞在し、
現地の大学の障害学生の就学支援や就労支援について、調査研修の名目で多くの施設を訪問させていただきました。
この経験は僕にとってとても意義深い時間になりました。
もちろん行って学んだことも多かったのはもちろんですが
それ以上に行くと決断した前後のことや、
その後準備して実際に出発するまでの期間のこと、
帰ってからの報告会やその経験が次の仕事へ広がっていったことなど、
とても影響の大きい出来事でした。
今回はそこら辺の経験を広く浅く振り返って記載したいと思います。
実際にこの研修に参加することを考えておられる人もそうですし、
ソーシャルワーカーとしてお仕事されていて、次のチャレンジを模索している方はぜひ参考にしてほしいなと思っています。
第一弾は出発までのことについて綴りました
思ったより長くなったので分割してアップすることに
次回はいつになるかは未定ですが。。。
社会福祉振興・試験センターの社会福祉士・精神保健福祉士の海外調査研修・派遣事業とは
社会福祉振興・試験センターは、センターのホームページによると
社会福祉事業に関する調査研究・啓発宣伝活動を通じて、民間社会福祉事業の推進を図ることを目的として設立されました。
当センターでは、調査研究事業のほか研修事業や保険事業、債務保証事業などを通して社会福祉事業の振興発展に努めています。
さらに、「社会福祉士及び介護福祉士法」及び「精神保健福祉士法」により、3福祉士の指定試験機関並びに指定登録機関として、国家試験の実施と資格の登録事務を行なうなど、積極的に諸事業を展開し、誰もが心豊かに安心して暮らすことのできる社会とするため、社会福祉に関するさまざまな活動に取り組んでいます。
とのことです。
一般的には国家試験を運営しているところという認識ですね。
こちらが社会福祉事業の発展を目指し、さまざまな研修事業を運営しています。
調査・研修の参加条件やテーマ等はホームページに詳しく書いてありますのでそちらをご覧いただくとして
僕も準備で苦労したのですが、以下の一文があって
※研修・調査施設の選定等は派遣者自身で行なう
というところで(笑)
当たり前かもしれないですが、全部自分で準備しないといけないのですよね。
お金を出してもらう以外は全部。
そこらへん、みなさん参加される方は苦労されているんじゃないかなと。
実際に出発するまでの準備内容とかについて書いていきます。
行くと決める(自己決定)
こういう海外研修の存在は、実際に申し込む1年以上前から知っていました。
僕は行動力があるほうだと思うのですが、でもだからといってすぐに行く決断はできなかったです。
ただ海外旅行とかは好きで、わりと独身時代から世界の各地を一人旅していて、
結婚してからも夫婦であちこち、よく旅していました。
(2019年7月現在で合計30か国くらい)
そういったベースの思考もあって、そもそも無理という考え方でなく
チャレンジできないかなとチャンスをうかがっていました。
でもさすがに1ヶ月まるまる仕事をあけるのは難しいのかなと思っていて
職場の人に相談したこともありましたが、積極的に行きたいという話にはなっていなかったんですね。
ところが2014年から上司が変わったのですが。
その上司が僕の性格などを理解したうえで、チャレンジしてもいいのでは、留守中は協力するよと言ってくれたのです。
これは渡りに船だと、即決。行こう!と決断しました。
ただその時点で締め切りまで2か月を切っていたと記憶しています。
ただとりあえず一番重要なフェーズはクリアしました。
自分自身で行くと決めること
誰も連れて行ってくれないですし、代わりに決めてくれるわけでもなく
最重要なことは自己決定
例え締め切りまで2か月弱でも、僕が行くと決めたらから、物事が進みだしました。
どこに行くか、テーマを決める、調べる
そもそも思考性は海外というか、外に向いていましたが、基本的な知識や研究実績とか、そういうのは皆無に等しかったので
まずは行きたいという気持ちが第一、そのうえで一番自分が興味関心がある分野は何かなと考えました。
その時はもちろん就労支援に携わっていましたので、その内容と
あとそのころは、勤務先の近くの大学の先生から、学生の就労支援や就学支援で相談を受けることが多かったので、そういった内容を実際学んでみたいと思っていました。
いわゆるグレーゾーンの、具体的な診断とかは受けていないけど何らかの支援が必要な学生というのが注目されだしていて
そういったこともあって、そのテーマを中心に検討しました。
ただ、なんの繋がりもない状況だったので、いくつか論文を見て回り
その中で取り上げられている就学支援とか就労支援の実績のある地域や施設の名前をピックアップして、とりあえずの「調査・研修計画」を作成しました。
計画作成の作成当時は、オハイオ州シカゴやノースカロライナ州シャーロットあたりが候補地でした。
とにもかくにも、何のつながりも事前連絡を取っていたわけでもないのですが、計画は後日修正もありだろうと踏んで、とりあえず締め切りに間に合うように提出しました。
ふたつめの重要なアクション。
決定通知が来てから、いろいろ準備を始める
締め切りから2か月くらい経ったある日。
6月ごろだったと記憶していますが
社会福祉振興・試験センターからの郵送物が届きました!
応募していつ届くのか記憶があいまいだったので、その日は忘れていたのですが、ポストで封筒を見つけたときは思わず小躍りしそうなくらい喜び、自宅の扉を開ける前に開封して中を確認していました。
採択通知!
あの時の気持ちはなかなかワクワク感がすごかったです。
そこからいろいろ準備を始めました。
ここまでで重要なのは順番ですね
あくまで
①自己決定
↓
②仮の計画作成と申し込み
↓
③採択
↓
④そのほかの準備
という感じです。準備はこれから。
【現地のコーディネーター探し】
【訪問先調整】
現地のコーディネーター探しや訪問先調整がスタートしました。
アメリカにも繋がりが多い知り合いがいてたので
その人にまずはお願いすることに
二つ返事で協力してくれるよーと。
その方はアメリカ滞在歴も長く、かつ日本でも研究職につかれていて
ある意味安心して頼りにすることにしたのですが。。。
これが直前になって大変な事件になるのですが。。。
この時はまだまだ安心していました。
【英会話の勉強】
英会話の勉強もはじめました。
まあこれについては、これまでも始まっては止まりを繰り返している活動なのですが。
この時もさすがにすべて自分の力だけで乗り越えるのは無理だろうと思っていましたが、ある程度は話せないとと思っていて、英会話を勉強しました。
この時はいわゆるネット英会話教室で、ほぼ毎日30分くらいでしたが、フィリピン人の先生とスカイプで繋いで英会話レッスンを受けていました。
そんな感じで、ワクワクドキドキしつつ、準備期間が過ぎていきました。
出発直前でトラブル
さて、渡米は1月上旬から2月上旬と決めていて、これは勤務先の都合とかいろいろ総合的に考えるとそこが一番無難だったので
あと旧正月を外すと世界中オフシーズンなので航空券も安いし選択肢も広がるので
ただ出発まで2か月を切り、11月半ばに差し掛かろうかというところでも、その知人のコーディネーター役の人の動きは鈍く、なんなら連絡が取れない日やメールの返信が来ないことも多くて困っていました。
いよいよ連絡が取れなくなってきて、これは完全にさじを投げられた感じやなと思って、体制を立て直すことにしました。
そのころには別の人経由でLAで活動されている日本人の作業療法士さんをご紹介いただいていたので、行先をロサンゼルスに絞り込んではいました。
なのでツテはゼロではなかったですが、それでも計画はほぼゼロベースで練り直しとなりました。
その知人コーディネーターにはお金を支払っていなかったのが幸いだったというか、
逆にいうと口頭の契約だけのボランティアでやり取りをスタートすると、知り合いでもトラブルのもとになるなと思いました。
僕の側の問題でもあったなと、腹も立ちませんでしたが困っていました。
そこで最終手段みたいな感じでしたが、Facebook上で助けてくれる人を呼びかけることにしました。
「通訳兼コーディネーター募集」、みたいな。
まあ無謀というか、今思うと恥ずかしい限りですが。
無計画に行動していたつけが回ってきたみたいなものでした。
でも奇跡が
でも奇跡が起きまして
その僕の投稿がアメリカ在住の日本人ソーシャルワーカーの目に留まり、その人が拡散してくれて、その人の友人がその投稿をみて、LAに住んでいる人を紹介してくれたのです!
僕
↓
僕の知人Aさん
↓
知らないBさん
↓
新コーディネーターさん
という流れ
SNS時代の奇跡というか、なんしか助かりました。
そのコーディネーターを引き受けてくださった方は渡米されて30年くらいの方で
現地で手話通訳士をされつつ、さまざまなビジネスをされている方でした。
日本語の手話の他、英語の手話もできて
日本語⇔英語⇔日本語手話⇔英語手話
というマルチリンガルなスーパーな女性でした。
しかもちょうどその方も、仕事がオフシーズンだったことと
過去渡米したての頃はいろいろ困ったことも多かったそうで、
僕の困っている状況を理解してくださり、とても安価な金額(予算内の金額)でお引き受けくださいました。
なかなかあの金額でここまでしてはもらえないよね、という範囲を善意でしてくださったわけです。ホント感謝しかありません。
ちょうどアメリカはクリスマス休暇に差し掛かろうという12月半ばから調整が再スタートしました。
基本その新コーディネーターさんとはスカイプを使い時差を気にしつつ打ち合わせをして。
年始まで。ほんと出発直前までですが、各施設と連絡を取ってくださり、また僕の求めているニーズも汲んでくださりスケジュール調整をしてくださいました。
おかげで出発直前に旅程がFIXし(正確には一部は渡米してからも微調整していただきましたが)…
航空券やホテルの調整も完了してギリギリセーフでなんとか渡米することができました。
あの時の準備のバタバタを乗り越えることができたのも、いろいろな行動をしていく上での勇気になっているなと思います。
出発する前からホント勉強になる研修だなあと感じていました。
家族に見送られて大阪→成田経由でカリフォルニアに向かったのでした。
1月9日のことです。
続きはまた今度。
今日はここまで。
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