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上杉鷹山と呼ばれた男

とあるオンラインセッションで、会社で取り組んでいる企業変革の話を私の感情を交えて話をしたところ、「まるで上杉鷹山」と過分なお言葉を頂戴した。「ありがとうございます!」と持ち前のノリの良さで翌日には背景の壁紙を上杉鷹山にして、気分良く過ごしてみたものの、実は上杉鷹山を知らないんです…「“して見せて、言って聞かせて、させてみる”の人だよ」と言われても「あれ、それって山本五十六じゃなかったけ?」と自分の知識のなさが露呈する始末。

私を過大評価してくれた人の会社では企業変革や人材育成、新規事業育成担当が一番最初にすることは上杉鷹山について知ることから始めるとのこと。今までWHY(なぜ会社が変わらなければいけない?)、WHAT(何に変わっていかなければいけない?)、HOW(どうやって変わっていく?)の部分には多く触れてきたもののWHO(ちょっと意訳して「どんな人が実践できる?」)の部分は薄かった自覚がある。これは必読だ!と思い立ったが吉日。Amazonさんのおかげで在宅勤務にして即ゲット。届いて驚き、帯に書かれた「この国難を鷹山はいかに克服したか」の一文。「とんでもない人に例えられてしまった…冗談でも上杉鷹山ですと名乗ったなんて…」と恥ずかしい気持ちをそっとしまい、タイトルを「上杉鷹山と呼ばれたい男」として企業変革活動をしてきた実際の部分を交えながら自省してみる。

一汁三菜と木綿の服

一汁三菜と聞くと健康的な食事、木綿と聞くと木綿のハンカチーフ、を連想してしまうが、シンプルにいうと、質素に生きる。財政難にあった米沢藩、またその歴史も古く、ご存じ上杉謙信を排出した名家である。冠婚葬祭、しきたり、随所随所にお金がかかる仕組みになっていた。それを廃止していくとともに、まず己からということで自身の給料も据え置き、質素な生活を実践したという。まさに「出るを制する」。

正直いうと、この部分は納得しながらも、共感しづらいところではある。だって、お金欲しいし、いい生活したいもん。利他の心で、とかわかるしそうありたいと思うけど、自分の心に嘘はつけない。だから給料据え置きだけは反対。ただ、「出るを制する」ということはやっていかなければいけない。もう一つ加えるとしたら「なぜそれをやっているのかを改めて問い直した上で」「出るを制する」にしたい。なんでこれやってるんでしたっけ?というものは普段仕事をしている中では非常に多い。上から言われて、昔からやっていて、と疑問を持たずにやっている人はもはやそんなにいないとは思うが、もう一歩踏み込んで、「このやり方変えられないか?」「置き換えられないか?」と自らの仕事をどうしたらなくせるか、という視点で見つめるようになるといい。ちなみに、私は経営戦略推進部という部署にいるが、最終のゴールは自分の仕事をなくすことだと思ってる。変わり続けるのが当たり前の会社、それが実現した時にはそれぞれが変わっているということなので、旗を振ってという役割は必要なくなるだろう。そうなれば私としては別の新たなチャレンジに向かえるので是非そうなるべく動いていきたい。(自ら破壊していかないと他の人に破壊されるという不安もある。企業体で見たときには過去事例は山ほどあるのに、業務レベルで見た時になかなか実感しないのはなぜだろうか…あらゆるSaaSが出ているのに…)

探索と深化

両利き経営でお馴染み。今回は攻めと守りと捉えた方がいいかもしれない。入るを攻め、出るを守りとすると、守りの意識は先述の通り。鷹山も必要なところ、新たな収益減を獲得するための漆、桑、楮の植林と攻めに関してはお金をかけている。また、攻めに関われる人を増やすための施策(植林することで給料がもらえる)と身分を超えた登用、不要の組織の撤廃を進め、藩全体で取り組んだ。時代背景もあるが、登城しててにをはの使い方を終日論議している人もいたらしい。ちなみに鷹山は「意味が伝わればそれで良い」と文章を美しく飾るためににかける時間は無駄と言っている。(あぁ、弊社で講演してくれないかなぁ)士農工商の意識が根深い時代において、武士も植林をというのは難儀でもあり、彼らの意識改革なしでは成し遂げられない。意識の面は後述するとして、企業における、既存事業と新規事業とにつながる、あるいは同じ話だ。

既存事業からすると節約しろと言われながらもビジネスを行い収益を上げていく、そのお金を新規事業が使って探索をしていく。「俺たちが稼いだお金で遊んでんじゃなーよ」という声はよく上がる。「新規事業が既存事業の邪魔すんなよ」「既存事業に関わってくんじゃねーよ」という声も。どうしたらいいですか?というのが本音だけれども、WHYの腹落ち度の違いによって生じるのでは?と感じている。なぜ今新規事業を開発する必要があるのか、加えて既存事業も変革していかなければいけないのか、会社全体として企業文化をなぜ変えていかなければいけないのか、その部分の温度差が現れる部分だと感じる。HOWの部分はいくらでもあるので、議論すべきではあるが、WHYの部分に関しては根気強く説明していくしかないのであろう。もっとシンプルにいくと、同じ会社で働いているのにいがみ合っても仕方がない。既存事業も新規事業、守りと攻め、どっちも大切なことなのでお互いに信頼、尊敬し合うにはどうしたらいいだろうか。鷹山先生の人生から感じる「誠実、謙虚、慈愛、愛、労り、信念、思いやり」。リーダーシップ、経営学として捉えた時に、人を率いるには必須。あぁ、呼ばれる日は本当にくるのだろうか…

“変革の火種を広げるのは社員1人1人だ”

とあるエピソード。江戸からの初入国、米沢の現状を見ながら希望を持たない表情の良民を見ることで本当に変革できるのだろうかと一人不安になる鷹山。籠の中のタバコ盆にあった灰を見ながらさとる。

(省略)宿場を発って沿道の光景を見ながら私は正直に言って落胆した。絶望もした。それはこの国が何もかも死んでいたからだ。この灰と同じようにである。(中略)やがて私は煙管を取ってその灰の中をかき回してみた。すると、小さな火の残りが見つかった。火種は新しい火をおこす。その新しい火はさらに新しい火を起こす。(中略)そしてその火種は誰であろう、お前達だと気がついたのだ。(中略)城についてからそれぞれが持ち場に散っていくであろう。その持ち場持ち場で、待っている藩士たちの胸に火をつけてほしい。その火が、きっと改革の火を大きく燃えたたせるであろう。私はそう思って、今、駕籠の中で一所懸命この小さな火を大きな炭に吹き付けていたのだ」(「上杉鷹山の経営学」著童門冬二・PHP研究所発行より)

まさに!!!!!!我々が会社として取り組んできたマインドセット変革。シリコンバレーに縁ができ、実際に渡米して行ってきた。それ自体が火を付けることであり、帰国、3日後に火の付いた社員が現場で広げていく。それを描いていた。今、100%できているとは言い難いが、少なくとも火種は広がっている。しかも強く燃えている。「濡れている炭もあろう、湿っている炭もあろう、火のつくのをまちかねている炭もあろう。一様ではあるまい。改革に反対する炭もたくさんあろう。しかしその中にはきっと一つや二つ、火をつけてくれる炭はあろう。私はそれを信じる以外にないのだ。」鷹山先生、まだまだですが、我々も火種はたくさんあります。これからさらに広がっていきます!信じてます!続けていきます!そう心に誓いました!

鷹山の火起こし、その取り組みは徐々に身を結んでいった。例えば、橋が壊れたら修理工が直すのではなく、自分たちで直すようになっていたり、率先して田畑を耕す武士が出てきたりと、意識の変化が実際の行動となって現れてきた。印象的なのはアンチ鷹山派の重役たちが鷹山を糾弾するところ。鷹山の優しさからか、即断はせず、意見を吸い上げた上で藩士が集まる場で議題に挙げた。口火を切ったのは現場だ。「今は城に来るのが楽しみでございます。それはお屋形様のご改革がなんのためのご改革かを、はっきりと示してくれらからでございます。」「このまま改革をお勧めください。」と続いたという。現場が変わること、そして声を挙げたことで今まで我関せず、という人たちにも火がついた。「改心して今日から努力いたします」と変革の動きが加速した。さぁ、今度は我々の番だ。トップダウン、ボトムアップとそのどちらでもいいと思う。火のついた人間がその火を伝播させるだけだ。

興譲の心をもって

自分を常に未熟なものとして、その至らなさを反省しつつ、真摯にその道に励んでいく。謙虚な心を忘れずにいく。鷹山先生からの学びはここには書ききれない。(というよりお分かりの通り文才がない泣)実践のための学問、焦らず急ぐ、などなど。私に上杉鷹山を教えてくれてありがとうございました!運転免許を米沢で取得したという唯一のつながりを頼りに、呼ばれたい男から呼ばれる男まで精進したいと思います。


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