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高次脳機能障害と小脳失調#4

またまた日を跨いでしまって申し訳ない。

また中途半端な形で終わるのは本意ではないので今日は高次脳機能障害についての日記を続けて載せよう。

長くなるかもしれないけどよろしく頼む。


貧乏クジ
僕は幸いにも失語症とか重大なものには引っかかってないし、認知していないで引っかかっていたとしてもリハビリの賜物として「自らの欠陥」を自覚できる。だからこそ高次脳の危うさを当事者から語ったり書いたりできるのだけど、そうは行かない場合もある。脳の疾患というところであらゆる部位に麻痺が残る場合もあるし、膨大な高次脳機能障害の疾患、どれ程が自分に当てはまるのかわからない。まるでガチャガチャだ。これにより、高次脳を経験した上でその経験を話せる僕は己のことをレアケースだと仮定したのだ。実際のところどうだかは分からないが、高次脳機能障害を広める良い人柱になれるのではないか?と考えるいいきっかけになった。
幼い障害
レアケースだと思い至る根拠として僕の病歴がある。僕は僕自身が(或いは周りも)障害による所と発達による所を大幅に誤解してしまい発見や改善が遅れてしまったと考えている。今更そんなことを周りにも自分自身にも責める気はないが遅れたことにより犠牲になった青春が報われるためにも高次脳機能障害について考える人の分母を増やしていきたいと考えている。高次脳機能障害がメジャーな障害としてある程度の認識を得られれば僕のような悲劇を回避できる可能性は上がると考えた。
妥協点
高次脳機能障害が改善するというのは分かる。しかし治るというのは些か疑問だ。完治することのない事の証明になるかどうかは置いておいて僕は常に社会的行動障害のある種の衝動的な何かと戦っている。しかし、それを常識で潰す工夫はしている。その結果編み出されたのがメモやリマインダー等のアプリ、転ばぬ先の杖ならぬ不安の払拭。代替手段が近くにあるか遠くにあるかの違いで治ったと判断されては困る。
第一、障害年金始め各種サービスの施行サイクルの一片にも「障害を持つ第三者」の関わりはない。分かりやすいかどうかは分からないが医者や受付、サービス責任者は右腕があるにも関わらず、右腕のない人の診断を行うのだ。病状に寄り添う努力はしてくれるだろうがその結果に説得力は生まれないように思える。
だからといって今すぐ「障害者を流れに一枚噛ませろ」なんて現実的ではない。この例を出しただけでも誰も本当に正しい事は言えないとわかって欲しい。
ただ、人間社会というのは未完成なので高次脳機能障害が脳のブラックボックス性を媒介として全くと言っていいほど全容が明らかにされてないのと同じようにある程度の部分で折り合いをつける必要が出てくるとは思う。僕はその折り合いの精度を上げるために障害者の力も借りて欲しいと言っているにすぎない。
意識
高次脳機能と診断され、「原因不明の疲れ」というものを感じる機会が増えたように感じる。結論から述べるとこれは易疲労という高次脳機能で発生するものの一種だ。脳のリソースが常に圧迫した状態に置かれていることで疲れやすいのだ。しかし僕は高次脳機能と診断を受けたのは確かにここ数年のことだが実際の障害は10歳の脳腫瘍切除手術に遭った際に存在していた筈なのだ。にも関わらず僕が疲労感を感じてきたのはここ最近だ。僕は『意識することで具現化する障害』があるように思えた。易疲労や僕の障害、震戦から見えてきたことだ。医師の診断やホームページ等、障害の可能性を示唆されてそんなのは嫌だ!と否定するあまりそれに当てはまってしまう。これはどういう効果なのか、学がないからよくわからない。

黒歴史製造障害
僕が学生時代で何が一番困ったかと言えば、この社会的行動障害しかありえない。

なんで嫌われているのか→何が問題行動なのか→どう治せばいいのか。この手順がまっすぐ踏めないし、なぜまっすぐ踏めないのかが不明瞭だ。監視カメラに変身ポーズをキメたり、突然奇声を上げたり、恥を忍ばない障害といってもいい。一言で言えばおかしいのだ。若さゆえの…という言い訳が通用するなら使っているのだが、社会の物差しにそぐわない行為を否定しないのはもっと気持ち悪い。思い返すと火が出そうだ。
幸か不幸か、やらかした時は総じて、僕は子供だった。10代の段階で常人の2、3倍は濃い失敗ができたことは感謝しなくてはいけないかも知れない。

ステータス・ジャミング
どく、やけど、ねむり、こおり、まひ…ゲームの状態異常はこの様な分かりやすいモノばかり。しかし、現実世界は違う。
怪我、胃腸炎、寝不足、鬱、麻痺等…多種多様な状態異常が実装されている。
そして厄介なところはYボタンを押してすぐに確認できない所も挙げられる。自己理解の進み次第でステータス確認速度に個人差が出るのは察していただきたい。
ステータスを確認するためには病院に行ったり、調べたり、自分で考えたりする。つまり想像。それでも確実な情報が手に入れられるわけではない。自分に何が起こっているのかわからない状態に陥っていると言える。
さて、ここからが本題。一見良好なステータスに見えても、状態異常を負ってる事が分からないケースがある。
それが病識の欠如である。まるで透明な刃が僕の体に刺さってる様で、血も出ない程の小さな傷なら気づかずに苦しむことになるし、出血するほどの大きな傷もなんでそうなったのかがわからない(刃が見えないため)ことに混乱するのだ。
さらに言うとその「なんで」は易々と消える。記憶障害や混濁で把握が難しく、つかみどころのない障害に変わる。
解決法について確かな事は言えない。僕も僕の体に起こったことしか分からないから。

脳のウイルススキャン
人の脳という物、大脳、小脳、前頭葉、延髄など色々あるが一つ言えるのはコンピュータよりも優秀だということ。僕は脳の全容が明らかになれば、高次脳機能障害という障害はなくなるのではないかと考えている。
何が起こっているのかわからないのが辛く、原理や理由を知ってると途端にハードルが低くなる事はあまり多くの人にはピンと来ないかもしれないが、感じて欲しい事ではある。だからこそ、強化型MRIみたいなものが開発されて脳の解析がさらに進んだら、相対的に当事者の数も増えていくだろう。そんな高次脳機能障害は謎が多い。第一章で告げたような思い込みや早合点等が該当する。「疑いやすさ」と対になるはずの「信じやすさ」この両方を僕は兼ね備えていると言ってもいい。信じない時はとことん訝しむし口車に乗せられてころっと言いくるめられる事も多い。学生時代は疑う事がそのまま嫌われること=いじめの標的になることに直結したのでとことん信じた。嘘でもデモでもお人好しというイメージが振り切れるほど。もっとも僕の立場だとお人好し=カモになったのでそれでも生活は悲惨だったことは第一章を見て貰えば分かるはずだ。逆に高校を卒業して就労移行支援に行っている間はあらゆる事にツンケンしてた。グレていた事が1番近い事実かもしれない。他人に反抗し自分にも憎しみを注いでいた期間。他人に優しくしても意味はない事が高校で分かったので、さらに「我」が強く、何事も自己中心的だった。
僕がそうであるのかは甚だ疑問だが高次脳機能障害を知る事でグレーゾーンと言われる状態により関心が向いた。高次脳機能も普通に見えてしまう、ステルス性の強い障害なのだ。健常者、障害者という分別の仕方が合っていないというのは察しがつく。幾つものグレーゾーンが存在するのだ。


いかがだっただろうか?書き殴った稚拙な文だが、高次脳機能障害の問題はは誰かが立ち上がらなきゃ一生光の当たらない問題だ。
故に相応しくなくても問題を啓発していく必要があるのだ。

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