高次脳機能障害と小脳失調#3

2週間ほど空いてしまっていたから申し訳なくなりながらの投稿

前回は小脳失調についてざっくりした解説をしたので今度は高次脳機能障害について言えたらと思っている。

尚、僕は専門家ではないのでWikipedia的な解説はできないのであくまで当事者のぼやきと捉えてもらえれば助かる。

また、今回から過去の日記を引用するので言葉が怪しい場合がある。ご理解いただきたい。

高次脳機能障害の事についていう前に、脳腫瘍のことは語らなくてはならない。
この病気は自分主体ではなく、偶発的に起きた。何かに運命付けられたなんて考えもあるが偶然の一致に他ならない。
当然のことながら僕はこの病気に対してあまりいいイメージを持っていない。

イメージを持つほどの知識を持っている訳ではないがこれだけは言える。なった時点で普通ではないと。まるでウォータースライダーの様に僕は「周りの人」と一緒に乗るはずだったリフトから滑り落ちた。

脳腫瘍が初めて頭にできたのが5歳、小4(10歳)まで2年単位で細かく切除して来た。それでも増殖してしまう腫瘍に痺れを切らし、完全な切除を求めたのが始まりだ。

当然10歳の頃の自分に頭の中で何が起こっているのか考える力はないのだから、インフォームド・コンセントの矛先は親だ。

切除には成功したが顔面麻痺と小脳失調が残った。そうしてそれが体幹障害や震戦に繋がった。その事実を受け止めるのだって苦労したし、周りにもたくさんの迷惑をかけたのは上記を読んで分かってもらいたいが、実はもう一つ発現していたものがあった。

脳の損傷による様々な弊害、高次脳機能障害。世間的な知名度が著しく低い「見えない障害」と呼ばれるそれは記憶障害や注意障害、社会的行動障害など頭の異常が見受けられる。(身体には何もない場合もある)

高次脳機能障害を一言で言ったら「脳のバグ」だ。中でも記憶障害は認知症のそれと間違えられる。

僕の場合はもちろん年齢的な問題もあるのだろうが発現から発見が遅れに遅れ、青春というかけがえのない時間を潰してしまった。

学校という社会的な行動が求められる場では当時の僕の危険性は見てとれるくらいには顕著に出ていた筈だが、そもそも認知されていないほど一般社会に溶けていないのが高次脳機能障害だ。

そして、病識を得た現在の僕の目からすると、如何に現代社会がハイレベルなのかがよくわかる。とはいえそんな気づきさえも簡単にはいかない。

そこに病識の欠如というものが入ってくるからだ。自分自身に起こっていることに関してまるで興味がなく、あったとしてもそれを「障害」という一般社会から断絶された概念によるものだとは考えつかないのだ。

外見に出る障害があるならば納得というのができるかもしれない。言ってしまえば足が動きづらいとかバランス感覚が取りづらいとかは認知してる分微々たるものでしかなく、わかっていないものの凶悪性を知れば、そんな苦労は火に焼いて食べられる。

認知していない。心にモヤがかかっていることさえ分からないのは大変な苦労と言っても差し支えないだろう。

高次脳機能障害をはじめとした心理的、内面的な疾患や障害は周りから見ただけでは分からないのが現状だ。そして本人だけがその自分自身の異常性に本能的な気づきを得られても家族や周りの人に「受け入れられる」か「否定される」かが大きな分岐点となるだろう。なんと世知辛い障害か。いや、世知辛くない障害はないのだろう。

前半はここまで、昔酷く書き殴ったものだから読むに耐えないかもしれないが、そのぶん鮮度は高いはずだ。当事者の苦悩の一幕でも見てもらったら助かる。

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