紙の本を活かす芸術│回想記14
うっかり自分語りをはじめちゃって14回目。10年くらい前の話なのですが、メール等で過去を遡ってみると、頭の中の時系列が驚くほど狂ってますね(笑)。
記憶なんて曖昧です。過去にとらわれることが、どんなに無意味かわかります。(そんなことを言って自分語りが続いていて、みっともない……)
さて、前回、紙の本の魅力を活かすとすれば「絵本」に違いないと確信を得て、その探求を目指すことにしたという話でした。
絵本というと、子ども向けの書籍という印象が強いかもしれません。または、絵がたくさん掲載されている書籍全般という認識もあるかもしれませんね。Wikipediaでも以下のような記述がされています。
文章にたくさん挿絵が付いている……というようなものに対して、「絵本」という名称がつけられている場合も多くあります。
ですが、「絵本」というものを探求すると、単に「文章+絵=絵本という書籍」ではなく、本というカタチを活用し、絵などを通じた表現方法、芸術作品ということが見えてきます。
具体的には、たとえば、ページを開く方向に、気持ちが進んでいるという心理描写ができるとか。左開きの場合は、登場人物が右向きの場合は、気持ちが前向き……または未来を考えている……というような表現になります。
同じく左開きにおいて、右側のページから登場人物が左を向いている場合は、後ろ向きな気持ちだったり、過去を振り返っている状況だったり……。要するに、心理学的に意味を持たせられるわけですね。
こういうことは、なかなか電子書籍では表現できないことだと思います。(電子の場合は、動画などを活用するという手段もあるかもしれませんね)
……とまぁ、そんな感じで絵本について、ちゃんと学ぶようにしたわけです。
ちょっとしたご縁で、武蔵野美術大学名誉教授の青木正夫先生にお会いして絵本について学ぶ機会もありました。(「StuDioえ・ほ・ん」という絵本スクールがあり、出版社という立場で参加させていただきました(滝汗))
そういえば、わたしが山梨に来てからお世話になった(成り行きで非常勤スタッフだった……)山梨県北杜市にあるcafeくじらぐもさんでも展示をさせていただいたこともありましたね……。(そのときの記事が残っていた! ありがたい……)
……で。
かなり奥深い世界を勉強したわけですが、自分で絵が描けないわたしとしては、自分で絵本を作ろうと思ったら、ある意味、分業制で考える他になかったんですね。
これは青木先生からの受け売りでもありますが、「舞台を作るように絵本を作る」という発想が必要……ということでもあります。
本を舞台に見立て、登場人物や大道具・小道具等を配置していく……。自分は舞台監督のように考え、制作していく……ということになります。
これは、結構、画期的だと思うのです。
いまは、某煙突の絵本が、分業制で……ということで割と一般的になっているかもしれませんが、当時(10年くらい前)にはそういう発想はありませんでした。(若干、意味合いが違いますが……)
それで、某煙突の絵本の著者によるこちらの記事にも記載してありますが、わたしのような零細な規模でも(零細な規模だからこそ?)、制作費の捻出が課題となってきます。
想いだけでは、なかなか実現しづらいですね。
当時は、今にも増して発信力が無かったし、クラウドファンディング的な発想も一切ありませんでした。
出会ったデザイナーさんやイラストレーターさんに声をかけて、巻き込んだりしたのですが、わたしの実力不足で続きませんでした。
それで、決して諦めたわけじゃないのですが、当時は「今じゃない」と判断したわけです。古書店のこともあったのですが、何か、世の中には順序というものがあるな……と。
まずは商売ができるようにならないと、いつまで経っても、博打をしているようなものだな……と感じたんですね。
……ということで、自分語りは次回15回目で、区切りたいと思います。これまでの経験を活かして、再起……というか、もうちょっと肩の力を抜くことで、できることがあるのでは……と思っている次第です。
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