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本は器である│回想記13

古書店の丁稚奮闘記として書いている自分語り。きっと……というか、間違いなく、10年くらい前に自分の軸として達成できなかった古本屋としての未練があるのでしょう。これをまとめることによって、次へのステップへと繋げます。そんなわけで13回目。

表題の「本は器である」というのは持論です。

ひょっとしたら、出版に関わる人は、当たり前のように思っているのかもしれません。ここでいう、本は、いわゆる「紙の本」です。

よく「紙の本」「電子書籍」が比較されることがありますね。紙の本じゃないと本じゃない……とか、紙の温もりが……など、いろいろ言われますが、わたしとしては、器が違うだけ……という認識に至っています。

順に説明しますね。これも持論ですが、「本には3つのストーリーがある」と考えています。

まずひとつが、本の内容(中身)としてのストーリー。いわゆるコンテンツですね。小説ですと分かりやすいですが、要するに、著者が書いた内容のことです。一般的には、本のストーリーというとこの部分を指すことになるでしょう。

もうひとつが、本の制作過程(モノづくり)としてのストーリー。ここは出版社が担当するところですが「本を作る」部分。要するに編集、装幀等のデザイン、製本……などです。「この本を作るために、著者とこういう交渉をした……とか、この内容に合わせて、こういうデザイン・製本方法にした」というようなストーリーですね。

そしてもうひとつ。できあがった商品(プロダクト)としてのストーリー。たとえば、「あの本に出会って、人生が変わった」とか「尊敬している方から勧めていただいた本で、大きな影響を受けた」とか「この本は、恩師からいただいたもの」というような感じですね。おそらく、本の内容を著者、制作過程を出版社と担当を決めるならば、ここは本屋または古本屋の担当になるでしょう。

まとめると……

  • コンテンツ(内容)

  • 制作過程(モノづくり)

  • 商品に付随すること(プロダクト)

……ということですね。だから、同じ本であっても、そこにはいくつか重なり合うカタチでストーリーが存在している……というのが持論です。

……で。なぜ本は器なのか。

本を作るにあたり、紙でも電子でも、原則として「コンテンツ」の部分は変わらないですよね。商品に付随することも、作った後に自然発生的に生まれるものだから、コントロールできない。

大きく変わるのは、制作過程の部分ですね。特に体裁(デザイン・製本方法)の部分は重要です。

たとえば、同じ小説であっても、単行本で読む場合と、豆本で読む場合では感じ方が違うでしょう。具体的には、本が小さくなると、それだけめくるページの回数が増えるので、自ずと長い話を読んでいるような気持ちになります。

縦書きにするか横書きにするかでも違うかもしれません。フォント(書体)も影響があるでしょう。紙質も違えば、五感に訴えるものが違いますので、やはり影響がありますね。

これを料理に例えるとイメージしやすいかもしれません。コンテンツが料理そのもの。本の体裁がお皿などの器ですね。

とっても高級なお料理が紙のお皿で出てきたら、せっかくの料理も台無しですよね。カップラーメンでも、高級なお皿に綺麗に盛り付けたら、少しは美味しそうに“見える”かもしれません。少なくとも感じ方は違うでしょう。

「本は器」というのはそういうことです。

器は料理によってコーディネートした方が良いな……と思うのです。だから、紙の本か電子書籍か……というのは、器がどうか……という話だと。

たとえば、自己啓発本のような「コンテンツ」のみが重要なものは、電子書籍で良いとわたしは思います。むしろ、紙のコストを抑えてどんどん電子化する方が良いとさえ思います。

一方、絵本は違いますね。めくることそのものに意味を持たせられるので。場面構成も含め、紙の本の魅力を最大限に活かせるのは、絵本だとわたしは思います。

そんなわけで、本には3つのストーリーがある……という認識に至ったのち、紙の本の魅力を活かす「絵本」というものへの探求がはじまります……。それはまた次回に。

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