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「天中殺」のこと(その3)

つづきです。

今日は、天中殺について、「すとん」と落ちた話です。

「時間は12進法、長さは10進法」という記事をどこかで見かけたのです。(どうしてもソースの記事を探せない…)

つまり、目に見えない時間は12進法で、目に見えるもの…例えば、距離、重さ、長さなどは10進法なんですね。

幼いころに「どうして時計は、10までじゃなくて、12まであるんだろう」とぼやっと不思議に思ったことを思い出しました。

つまり、目に見えない時間だけ「2多い」んですね…世の中って。
それは、占いをやっていても、やっていなくても、信じていても、信じていなくてもみんな同じで。

「それが、天中殺」なんだなって思うと、なんだか腑に落ちたんですよね。
時間はあるのに、「モノ」がない。
目に見えない空間があるのに、そこに目に見えるものがない。
「2」が浮いてる。これはなんだろう。

しかし、昔からよく感心していたのですが、この「暦」というものの素晴らしさ、不思議さです。
例えば、1日1秒ずつ、ずれていったとすれば、一か月で30秒ずれます。
一年で6分ずれます。そうやって積み重なると、長い間をかけて季節がずれていくはず。なんなら、昼と夜もずれていきます。

ところが、それが全然ずれないで世の中の時間は回っている。
ちょっとずつずれたものを、うるう年に2月に29日まで作って調整したりして、それはそれは長い間、朝昼夜、春夏秋冬、ずれないで暦がある。
お見事としか言いようがありません。暦の仕組みってすごいんですね。

難しいことはわからないけれど、この「時間は12進法、物理は10進法」のなかで生きていることを思えば、天中殺というものがあって、過ごし方に少し工夫がいる、と言われても「なるほど」と思えてきます。

前の記事に「途方に暮れた」話を書きましたが、なるほどと思えたことで、何か自暴自棄になりそうな自分を回避した気がしています。
関西風に言うと、「しゃーない」ってことです。
こういうときに、関西弁って便利で、ニュアンスを表現するのに最高だなって思います笑。

しゃーないこともある。
だって、時間は「2余る」のだから。

これを思うだけで、ちょっとやっていけそうな気になります。





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