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「私と占いの歴史」#2占いとの再会は、算命学との出会いでもあった。

つづきです。

己の力と運と努力だけが信じられる!
と生きてきた私は、しばらく占いなんて生活に一滴も感じない生活をしていた。家事育児、加えて仕事。そしてワンオペ。

毎日、夜は「睡眠」ではなく「失神」と言っていいほどの毎日。
毎日が失神で終わり、翌朝息を吹き返す。

そうやって、「現実的に」頑張らなくては乗り越えられない毎日。占いがよかろうが、悪かろうが、そんなことは感じてる場合じゃない。

「やることたくさんあるし!忙しいから!」

って感じだったと思う、今振り返ると。

そんなとき、友達から「人数合わせに来てほしい」と占いイベントに誘われた。確か、友達が働いている会社で「既存のお客様に対するイベント」だったかな。占いのお客さん、としての参加要請だった。

お世話になっている友達だったので、すぐに「いいよ!」って返事して参加することになった。

とはいえ、私にしてみたら「やっつけ仕事」。
はいはーい、って感じで参加して…とはいえ、ふと、前回書いた「おばちゃんの一言」が思い出された。

「たまには、人の意見も聞きや。」
という占い師のおばちゃんの一言。

久しぶりに思い出した…
「毎晩失神生活」にも疲れていたんだと思う。
「おかあさんとしての自分」「妻としての自分」「そもそも自分」
みたいなことをちょっと知ってみたい、今のままでいいだろうか?と聞いてみたくなって、恐る恐る聞いたんだと思う。

「うーん、もっと自由に生きていいんじゃないか。」
みたいなことを言われたんだと思う。
「えええ!自由って!なんだよ自由って!」
なんだこれ、自由ってなんだ!という衝撃。
現在、自由とは程遠い生活ですけど…そんな私に自由とは?

とか思いつつ、なんとなく「わかる、それ」と思ったことも覚えている。
自分の中に小さく小さく残っていた、メントスくらいの大きさのもの。
もしかしたら、「このままじゃなんかだめ」と思っていたのかもしれない。
なんだこれ、なんだこの占い。

正直、このとき具体的に何を言われたのか、詳しくは覚えてなくて…ただ、「これ、算命学です。」って教えてもらった。
「算命学?聞いたことない…」
調べると、なんか中国の学問、ってことらしく。
世継ぎを決めるために、中国の数千年の歴史がある…ええぇ、世継ぎ決めるための占いって、結構本気じゃない?
(おそらく諸説あるんだと思うけど。)
みたいな気持ちになって、すごく興味がわいてしまったのだ。

イベントだったから、時間が短くて、もっと掘ることはできず。
その日は「算命学」というものを教えてもらって、なんか、面白そうだなと思って終了。

おそらく、その日、私が「ちょっと面白そう」と思った理由は、
「いい、悪い」「当たる、外れる」みたいなことではなく、どういう風に生きれば自分は活きるか、みたいな視点で話をされたのが新鮮だった。
それなら知りたい!と思ったのだろう、自分を活かす何か、を。

そこから何気に検索していたら、ちょっと行ってみたくなった、占いに。
いよいよ、初めての本格的な「算命学鑑定」にいくことになった。
ここから、どんどん、算命学にはまっていく。
(つづく)





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