今日、ボヤッと考えたこと。 〜『何かを好きになる』ということについて〜

久しぶりのnote。前回とは随分雰囲気が違うけど、まあいっかということで。「こんなことを考えている奴もいるんだなあ」とテキトーな感じで見てもらえると嬉しいな、と思います。


さて本題ですが、時々、というか結構な割合で、好きなものとの距離感が掴めなくなります。建築はその代表例で、『建築自体は好きなんだけど、設計となると膨大な作業に目がいってしまって鬱になる』という悩みを抱えていまして、最近は『好きなもの』との距離感を考えるようになってきました。


そうして色々考えているうちに『アンタの本当に好きなものって何なのさ?』という、身も蓋もない問いが自分に投げかけられました。

好きなものが見つからないという意味ではなくて、『何もかも100%好きです!』と言えるものなんてなくね?という意味です。

もし好きなものがあって、それが何らかの理由で好きになれないなら、それはそのものに原因があるのではなくて、それを見ているアナタの認識がちょっとズレてるんじゃねえの?っていう訳です。

好きであるから、それを好きでいようとする自分を作り上げる』という感覚ですかね。ミイラ取りがミイラになる的な。

何かを好きであることは決していけないことではありません。むしろほぼ無限に存在する『もの』から、何かを『好きになる』ことができるというのは、とても素晴らしいことだと思います。

『好きでない』という無から、『好きである』という有を自分の中で生み出せた訳ですから。

ただ厄介なのは好きであればあるほど、嫌いな部分がチラつくということ。それは時に夏の夜の蚊の羽音のごとく、鬱陶しく感じることがある。   これが非常にしんどい。

そこで自分が提案したいのは『あえてさほど好きでもないものから好きを見出す』ということです。

100%好きなことがないとするならば、100%嫌いなこともない訳で、   どんなに嫌いであっても、先に進む糸口だったりとか、何らかのきっかけが見出せると案外あっさりと好きと思える部分が見えてくるんじゃないの?ってな話ですね。案外そんなもんでいいんじゃないかなと最近は思います。

具体的には、『これはそんなに好きではないけれど、この部分はできる。なんだ、意外とイケんじゃん自分』と考え続けた方が全体としては幸せなんじゃないか、という意見な訳です。

そうしていけば『私はあるものが好きである』という状態から『私はあるものを好む自分が好きである』という状態になれるんじゃないかなと思います。

ものは無くなってもあなたは24時間ずっとあなたのそばにいる、だったら『あなたを好きになること』をゴールにした方がいいんじゃないだろうか。

そのためにどんどん動いて、試して、上手くいってもいかなくても、何でもそこそこに好きになっちゃえばいいんじゃないか、ってな訳です。

最後に、好きであることは数値では表せないし、『何かが好き』という感情自体は全く否定する気はありません。ただ、そのあなたの膨大な『好き』というエネルギーを、ほかのところにも分けてあげたらいかが?という提案がしたくてこの記事を書きました。というかなっちゃいました。ほとんど自分自身への問いかけですからね、この記事。

まあそんな感じで、「せっかくあなたに『好きになるパワー』があるんだから、そのパワーになりきらずに、いろんな方向にそれ使ってみない?」というお話でした。また気が向いたときまで。

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