目には見えない。

18の頃、夜の喫茶店でひとり頭を抱えていた僕に、「一番大切なものは目には見えないんだよ」と星の王子さまは語りかけた。

学生生活の中で人間関係に悩んでいたあの頃、ちょうどその日は恋人と会っていたが意思の疎通がうまくいかず、駅で別れてからもその日の反省をしながら自分の頭の中を具現化するようにぶらぶらと繁華街を歩いていた。

ふらっと入った本屋、まだ時間もある。何か立ち読みでもしようと本を眺める。その時「星の王子さま」というタイトルが目に入った。確か絵本だったような、小説の棚に置いてあるのか。気になり手に取ってみる。たまたま手に取ったその本の帯には「大人のための絵本」というキャッチフレーズが書いてあった。結局絵本なのかと思いながらも「大人のため」という謳い文句に18の僕は惹かれた。

すぐにその本を買って近くの喫茶店に入った。人間関係に悩みを抱え、ああでもないこうでもないと考え事をしながらだったからか、席に座るまでのその経緯についてはあまり記憶がない。アイスコーヒーを頼み、本を開く。悩む自分への苛立ち、将来の不安、周りの環境に対する葛藤、一つのことで悩み始めると他の悩みや負の感情が一気に加勢し押し寄せてくる。そうした感情から現実逃避するような、逆に何か助けを求めていたかのような感情でページを進める。飲みかけのアイスコーヒーと溶けた氷が半々ぐらいになった時、本の中の彼は言った。

「一番大切なものは目には見えないんだよ」

正直前後の流れはあまり覚えていない。勢いのままに読み進めていたページはその言葉を見た瞬間に急ブレーキがかかった。

それはまさに人間関係に悩み、他人の顔色ばかり伺っていた僕の心に深く刺さる言葉だった。それと同時に「大人のための絵本」がしっくりきた感じがした。大切なものは目には見えない。その言葉を聞いてあなたは何を大切と感じるのか?と作者サン=テグジュペリに投げかけられたような気がした。そうか、確かにこれは絵本だな。絵本は子供たちの発育のため自主的に考えさせ、思考力や豊かな感情を身につけさせることができる。目に見える絵からの視覚的情報につられずに思考する力が身につく。だが大人になると多くの視覚的情報をキャッチするため、それに判断を委ねてしまう。物理的根拠がある分その方が楽なのだ。目に見えないものを気にするのは体力がいる。気にしないほうが賢明な、大人の判断だろう。これはそんな大人たちへ向けた絵本なのか。

店員にもう閉店だと言われ、店を出る。夜も遅いがまだ活気の溢れる繁華街を歩くと多くのものが目に映る。だがそれ以上に目に見えないものの多さに気づき始める。表情や行動などの目に見える情報を読み取ることで、人間の感情や人間同士の関係というような、それより奥の目に見えない情報を感じ取ることができた。

歩いていると道の端でおそらくカップルであろう男女が楽しそうに話している。男性の手にはおそらく女性からのプレゼントであろう紙袋が提げられている。プレゼントを貰った男性だけでなくあげた女性も笑顔で溢れている。きっと彼氏のためを思って多くの時間をかけて選んだのだろう。彼氏に渡すプレゼントのためにかけた多くの時間、これは目には見えない。そこに見えるのはただの紙袋だ。だが何より大切なのは紙袋に何が入っているかではなく、そこに紙袋が提げられている事実、そして渡すまでにかけられた時間であるのだ。当たり前のように思えるがこれを感じることができる機会は少ない。

そんなことを考えながら帰路に着く。帰りながら、僕には何が足りないのだろう、自分の一番大切なものって何なのだろうと考えた。どれだけ考えてもその答えは出なかった。

それからというもの、何度読み直しても王子さまは同じページでその言葉を投げかけてくる。この本を読んだことでそれからの生活が劇的に変わることはなかった。日々の支えとなるわけでもなかった。ただ時々、心の中の王子さまが語りかけてくるのだ。

「一番大切なものは目には見えない」と。

自分にとって何が一番大切かの答えは未だ見つからない。むしろ今は深く考えないようにしている。目に見えないんだから、必死で探しても仕方がない。自分がいつか死ぬ時までに、自分なりの答えが見つかればそれでいい。その時に王子さまが、「よくやった」と褒めてくれるんじゃないかと密かに期待して生きていこうと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?