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明日もきっとやってくる

久しぶりにnoteを開きました。タイムライン見てると欠かさず更新続けている方も見受けられて、すごいなぁ、と思うばかりです。自分は熱しやすく冷めやすい人間なので、一時期ハマった記事を書くこともいつしか距離をおいていました。
が、2020年も終わりということで、久しぶりに記事を書いておこうと思います。

今年は特別な一年でしたね。また、来年も特別な一年になり得るかもしれません。
働くこと、暮らすこと、食べること、遊ぶこと、、、
普段の行動を見直して様々なことを感じました。

そもそも「当たり前」ってなんだったんだろう?

「当たり前」だったり、「普通」っていうものは誰かに作られたものだということに気づいてしまってからは、いい意味で適当になっている自分がいます。

通勤は電車でするものだ

若手は残業してナンボや

家事は嫁が積極的にやるものだ

クリスマスは贅沢するものだ

とか

今年はこれらを辞めました。車で通勤するようになったし、残業したくないからやることやったら帰るし、掃除洗濯皿洗いめっちゃやるし、クリスマスは家でチキン頬張るし、いつもと違うけど何も問題起きない。

この社会情勢に乗じて追い風になっていることも多々あっただろうけど、自分を苦しめていたのは「当たり前」という無意識に刷り込まれていたマインドだったのかも。

春は働く意味ってなんだっけ、みたいなよくある自問自答のループに入ってたけど、今はそんなことあったなーくらいの他人事みたいな感覚。

国や会社など世間に長い間かけてきた催眠術やら暗示が解けてきたんじゃないかな。そして、徐々に気づき始める人もいて、個として強く生きる人が増えていそう。魚を与えてくれても、魚の釣り方は教えてくれないから。

結局、自分がどうしたいか、または何ができるのかに対して労力とお金を使ったほうが有意義なんだろうな。1日先も100日先も1000日先も。


何が言いたかったかというと、国や世間が作り上げた「当たり前」に沿ったことをしていても幸せや成功が手に入るわけじゃない。むしろ沈んでいくような気がしている。

仕事が無くてもお金が無くても家が無くても明日はやってくる。
ゴーイングマイウェイの先にある自分の幸せを掴もう。


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