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やっぱり感じている違和感からは目を背けたくない

こんにちは、りょうです!
なんか最近は、noteを書くのを前よりも躊躇をしなくなった気がします。前までは、人の目がありそうで怖かったのですが、こうしてみなさんが「いいね」してくれたりすると、自分も発信してもいいんだなという気持ちになり、発信するというハードルが下がりました!
いつもみなさん読んでくださり、ありがとうございます!!

僕がここ数日で特に感じていること。特に就活に対する違和感っていうのがやっぱり拭いきれない。
みんなと合わせてリクルートスーツを着たり、ES対策とかSPI対策みたいな小手先だけのテクニックが先行していて、肝心の「なんのために働くのか?」とか「どういう人生送りたいのとか?」をまるっきり考えずに内定をもらえればいいという今の就活システムが気持ち悪いと感じた。

先日、企業にエントリーをするっていうアクションと合説にいくっていうのを今受講している就活ゼミのアクションとしてやったのだが、就活のナビサイトをみると、うわべだけの情報しか乗っていない。いい情報しか乗っていなくて、それは企業側からしたらさ、学生を採用したいからそんな悪い情報を書けないんだろうなと思ったけど、なんかこうナビサイトをみると取り繕った情報しか乗っていなくて、見る気力すらも失せる。

またこの間、合説っていうのに行ったんだけど、それもやっぱり違和感だらけだった。企業の採用担当者の人が会社説明していてそれを学生さんが聞いて、その後質問をするっていう一般的なもの。同じ空間に人がたくさんいるはずなのに、人と人とが会話している感じがしない。企業側は自分の会社を良く見せたい為かやっぱりいい情報しか言わないし、学生側もぶっちゃけどうですか?みたいな質問ができない雰囲気というか、お互いが表面的な会話しかしていない感じがなんとも違和感でしかない。

じゃあこの違和感の正体ってなんだろうって思ったんだけど、僕は人と人とが建前とか上部の会話ではなく、人間味の溢れる本音で喋りたいという願いがあるからだと思った。一言で言うと「対話」。これがしたいんだなと思った。これに気づかせてくれたのはやっぱりLDSに通ったからで、「対話」をすることで、自分の弱い所も見せていいんだなと思えたし、相手が本当はこういう人なんだっていう、人間のコアな部分が知れる感じがして、その人のこと応援したくなるし、支えたくなる。「対話」があることで、お互いに支えあって前に進んでいくっていうのがとにかく素敵。

「対話」って自分の人生においてこれからも重要なキーワードで、忘れちゃいけないものだなって思えるくらい素敵だなって感じてるのね。友達や恋愛、結婚、色んな人間関係を築いていくのかなとか思うけど、お互いのことを知っていれば、すれ違いとかも起きないだろうし、人間関係のトラブルって防ぐことができそうな感じがするのね。多分だけど。

だからすごいこの「対話」っていうキーワードが自分の中で大きくなっているし、これからも育んでいきたいもの。でもこの「対話」が一般的な就活では掛け離されすぎていて、ギャップがありすぎる。僕はこの「対話」を大事にしていきたいのに、就活では微塵のかけらもなくて。だからやりたくない。別に将来のことをどうでもいいとかっていうわけでもないし、楽したいとかでもないし、働きたくないっていう訳ではない。むしろ僕は就職はしたい方。

「一般的な就活違和感あって、やる気が起きないんですよね〜」って、他の人に言ったら、「覚悟が足りないんじゃないですか!」「本気で就活に向き合っていないんですか!」って言われた。最初そうなのかなとかって思って、僕サボりたいだけなのかなとかって思って、自分の違和感というのを蓋にして、就活ってそういうものなのか。やりたくないけど、とりあえず進んでみるかっていう感じて、自分の気持ちを押し殺していたのね。

でも今だったら言える。別に覚悟が足りないとかそういう話をしてるんじゃないんだよって思う。就活の違和感がどうしてもあって、そこと向き合いたかった。悩みたかった。だから悩んでるんだと。

自分でも書いてて何を言いたいのかわからないけど、「サボってるじゃない?」って言ってくる人には、「僕は僕なりで考えてるので別にサボってなんかいません。」と堂々と返したいと思ったし、またこの違和感っていうのをなかったことにしないで、ちゃんと向き合いたい。この違和感の中に自分の願いが込めらていると思ったから。

今回はずっと心の中にあったけど、人に言われて自分の思っていることっておかしいのかなと自分軸が揺らされ、でもやっぱり大切にしたいというこの違和感っていうものについて、忘れないようにこのnoteに書きました。ありがとうございました。


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